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 明日天気にな〜れ!

 第一回 スプキレュア

 子宮腺筋症は、基本的には子宮の全摘が完治とされている。スプレキュアやナサニール、
リュープリンなどのホルモン剤は、腺筋症の病巣を抑えるための一時的な治療方法にすぎません。
 私が、生まれて初めて、ホルモン剤を使ったのは、満40歳になった直後でした。子宮がどんどん
大きくなり、それにつれて痛みのある日が続くようになっていました。また、毎月の生理の量も大きな
凝血がごろごろと出て、貧血もどんどん進んでいました。

 婦人科へ行かないといけないことは分かっていました。しかし、ホルモン療法は避けたい。ましてや
子宮の全摘などしたくはないという思いがずっとありました。多分、産婦人科へ行く時は、耐えられなく
なった時で、その時は、ホルモン剤もやむを得ない。全摘をすることも考えなければいけない。初潮以来
、恐らくは腺筋症であったろう私は、10代の後半頃には、そう考えていました。そのどうしようもない時期
が遂にやって来ました。

 いざという時が来たならば、すぱっと全摘を選択することが出来るかも知れない。しかし、実際に医者
から、「腺筋症だから、治すためには全摘しか方法はありません。あなたのためにも、全摘を勧めます。」
と告げられた時、即座に「嫌です。」と答える自分がいました。受験や仕事など初潮以来、生理のために
どれほど苦しめられてきたことか分かりません。30歳を超える頃には、痛みも生理の時以外にも起こる
ようになり、貧血もますますひどくなってきました。これから先、子宮を持っていても結婚もするとも思えま
せん。ましてや子供を産むことなんて考えられません。それなのに、子宮を取ることは避けたいと思いました。

 医者は、どうやらホルモン剤は一時的にしか効かないということを患者本人に納得をさせてから、子宮
の全摘を受け入れるようにと考えていたようです。全摘を避け、その時の痛みと貧血を改善するために
、毒と知りつつ、ホルモン剤であるスプレキュアを使うことにしました。40歳になってすぐに、スプレキュア
を半年間ワンクール使い始めました。

 スプレキュア剤を選んだ理由は、ナサニールやリュープリンに比べて値段が安いことと一番手間のかかる
面倒臭いものだからです。回数が多い分、薬の効いている時間が短いので、ひどい副作用が出た場合、
他のホルモン剤に比べて中止しやすいと思ったからです。私は、体質的に薬が効き過ぎる傾向があります。
ですから、スプレキュアを服用する前から、様々な副作用が出るだろうことは予測できました。でも、実際に
使ってみると正に副作用の女王?かというくらいに沢山の副作用に苦しめられました。薬に添付されている
説明書には載っていないような稀な副作用とされるものも起きました。またスプレキュア中止後から約2年半
以上もの間の不調の日々が続きました。一般的にホルモン剤中止後は、数ヶ月は症状はあるが、そんなに
長期に及ばないとされています。でも、本当にそうなんでしょうか。私には、そうは思われません。

 また、ホルモン剤を使えば、苦しいことが多いけれど病気にとっては良いことだ。つまり治療になり、それ
が継続的なものだと考えている人が多いようです。少なくても、以前よりも病気が悪くなることはないと
考えているようです。テレビなどで、筋腫や内膜症や腺筋症(殆ど報道されませんが)の治療方法を報道
する時も、とにかく早期発見、早期治療なので、おかしいと思ったらすぐに躊躇わずに、産婦人科へ行き
ましょう。そうすれば、赤ちゃんも産めます。子宮も残せます。治療は昔と違って沢山あります。と、よく言えば
前向き。悪く言えば、現実回避の説明不足の報道が多いと思います。早期発見・早期治療で体をおかしくし
ている人もいるのでしないでしょうか。

 スプレキュアを服用後、すぐに子宮のあちこちがちくちく痛み始めました。鎮痛剤を飲んでも痛みが
消えませんでした。そんな日が4・5日続きました。その後、痛みもおさまりました。そして今度は、皮膚
の湿疹、眠気、だるさ、軽い痙攣、頭重、吐き気、にきびなどが起き始めました。症状は日替わりメニュー
のように毎日変わりました。そして時々、不正出血もありました。スプレキュアと合わせて、ヘモグロビン値
7.4まで低下していた貧血の治療のために鉄剤を飲み始めました。その鉄剤の副作用の胃腸障害にも
苦しめられました。複視といって、物が二重に見える症状もありました。とにかく体全体が物凄くだるくて
仕方がありませんでした。また、精神面では、うつ状態になりました。稀な副作用とされていますが、ホル
モン剤体験者に聞くとごくごく普通の副作用だと分かりました。とにかく、いつも気持ちが晴れませんでした。
季節は、夏から秋にかけてでしたが、いつも真冬のようなどんよりとした感じでした。

 副作用に苦しみながらも、半年間スプレキュアを続けました。スプレキュアの副作用を更年期障害様
症状と言っていますが、もう二度とあんな体験はしたくはないと思いました。

    
第二回 意外な副作用

 ホットフラッシュという突然に汗がだらだらと出てくるほてりやのぼせのことは、医学書によく書かれて
いますが、それを実際に体験をしてみると本当に厄介なものです。私がスプレキュアを始めたのは、春
でした。それから夏にかけては、物凄い暑さを感じました。すぐに汗が噴き出ます。他の人にとっては、
ほどよい暖かさでも、もう我慢ができないほどの暑さに思えました。下着もすぐに汗でべとべとになって
しまいました。そして夏が過ぎて秋になっても、同じように暑く感じました。さすがに冬になると汗もそれ
ほどかかなくなりました。でも、夏のような薄着で丁度よいのです。貧血がひどかった時は、真夏でも
寒くて仕方がなかった頃には想像もできないことでした。


 こんなスプレキュアの副作用に苦しめられつつも、毎月の生理がなくなったことは、生活の質を変え
ました。まず、生理に振り回されることもなくなりました。何をするにも、いつ生理が来るのかを考慮に
入れて行動しなければならなかったのですが、それがなくなりました。それに伴い、いつもどこかてへ
出掛ける時は、いつ生理になってもよいようにと生理用品と鎮痛剤と着替えをおさめるために大きな
バッグをいつも持参していましたが、その必要もなくなり、とても身軽になりました。人と会うことや旅行
に誘われても断ることもなくなりました。勿論、その間にも、副作用に苦しめられ続けていましたが、
生理に煩わされない人生って、こんなに快適なんだなぁと実感しました。そして、これが健全な生活
なんだと思いました。正直言って、こんな生活が(副作用が全くない状態ならばですが。)ずっと続くの
ならば、生理がなくてもいいのにと思いました。そして、全摘をした人が言っていた「本当に楽よ〜」と
いう言葉に納得しました。病院へ行き、腺筋症と診断される3年ほど前からは、生理痛の重さも出血も
半端なものではありませんでした。

 生理がない喜び?を満喫しつつも、気分はどんよりしていました。いつも気持ちが晴れず、常に重い
黒い雲の下にいるような気分でした。やる気も起きません。うつ状態に陥っていたようです。何もかにも
考えが悲観的になります。死にたいとは思いはしませんでしたが、自分は無能な人間だという意識が
強くなりました。これは、スプレキュアの副作用なのだ、これは薬のせいなのだと自分に言い聞かせて
時を過ごしました。そして実際に、スプレキュアを中止すると同時に、あの嫌なうつ状態はどこかへ行って
しまいました。女性ホルモンは、一生のうちにスプーン一杯分、つまり5グラムほどしか分泌されないそう
ですが、そんな少ない量のホルモンが、女性に喜びと悲しみをもたらすとは、驚きです。女性ホルモンの
減少は、動脈硬化の進行のほか、ボケやうつ病などの精神面にも影響を与えます。こんなに大切な役目
を果たしている卵巣が、男性の精巣に比べて50歳という人生の途中で、その寿命を終えてしまうのは
納得がいきません。妊娠・出産を考えれば、50歳という年齢は、自然の摂理と言えるかも知れません。
でも、女性が毎月の生理や妊娠や出産を体験した上に、閉経後に、近頃は男性にもあるという更年期
障害に半分の女性が見舞われる。そして、なおかつボケや様々な老化も生じる。閉経すれば、生理の
苦しみからは解放されはしても、またまた次に試練がやってくると考えると息苦しいです。

 生理が始まる前、アレルギー体質の私は、蕁麻疹や小児喘息に苦しめられました。思春期を迎えて
胸が膨らみ、身長も145センチを越え、いよいよ生理が始まりそうになると生理が始まったら、生理痛
に苦しめられるのではないかという恐れを抱きました。そしてもしそうなったのなら、生理は毎月来る
もので、それは閉経までの長い間にわたって続くものなので大変なことになるぞと思いました。でも、
きっとそうなってしまうんだろうなぁという漠然とした予感がありました。それと同時に、閉経後は、それ
までの苦しみが嘘のように健康になるんだろうなぁという予感もありました。こちらの方は、まだ分らない
のですが、前者の予感は、不幸にも的中しました。

 スプキュアの副作用は、更年期様障害で、その副作用は服用の中止後は、速やかに消滅すると
されています。その中には、胃の膨満感、胃腸障害という項目があります。私の場合にも、胃腸の
不調がありました。でも、それは膨満感といったものと違いました。胃の中が熱いのです。どんなに
冷たい飲み物を飲んでも、その灼熱感は消えませんでした。スプレキュアを中止しても数ヶ月間は、
その灼熱感が消えませんでした。この胃の灼熱感は、ホットフラッシュに伴う汗以上に不快なもので
した。何か胃に異常が起きているのではないかというと不安でした。翌年の夏になり、胃の検診を受
けました。すると、胃に異常あり。精密検査の必要があるという診断を受けました。そして、胃カメラを
飲み、沢山の数のポリープが発見されました。多発性ポリープというのが、病名でした。毎年、胃の
検診を受けていましたが、それまでは一度も異常を指摘されたことはありませんでした。やはりと
思いました。薬は、このように思いがけない副作用も生むものです。でも、胃の検診を受けなければ
、胃のポリープも発見されないままで、薬による副作用だというのも分らないままでした。医者には、
薬の副作用ではないかと尋ねましたが否定されました。きっとポリープ発生の報告がないかあっても
少ないからなのでしょう。気になるのは、私と同じ腺筋症患者で、私と違って大学時代から、色々な
ホルモン剤を使い続けていた女性が、40歳を前にして、早期の胃がんが発見されて手術を受けた
ことです。これも、ホルモン剤の副作用ではないかと私は訝っています。一度の投与で、ホリープに
なるような人間が何度もホルモン剤を受けたのならガンになってもおかしくないのではないでしょうか。

 この他にも、意外な副作用がありました。それは、恋愛ドラマを観て感情の昂ぶりを覚えたことです。
私は、恋愛ドラマや小説などには興味がなく、ドキュメントが好きでした。また、歌手や俳優についても
この人は素敵だわ〜というようなことは全くといってありませんでした。なのに、キスシーンにドキッと
したり、この人って、格好いいとか今までと異なる反応が飛び出して我ながら驚いてしまいました。
もっと驚いたのは、自分に子供がいて、それが男の子だったらいいなぁとかやけに具体的なイメージ
が勝手に頭に浮かんだりしました。これって、一体何なんでしょう。一時的には女性ホルモンは増える
けれど、後は著しく低下しています。なのにです。これで、自分が好きなのは、やはり男性なのだと
分りました。(笑)子供を産む可能性もどうやら捨ててはいないのだと思いました。今は、元通りになり、
恋愛ドラマや小説には、関心もなくなりました。そして、ラブシーンを観ても、よくやるわという冷めた
感情しか起きません。本当に、スプレキュアって不思議な薬です。
          

 第三回 氷とエベレスト

 初経の頃から経血は多かった。中学の時には、既に凝血が混じり始め、どんどんと生理の期間が
長引いていった。高校受験の時は、ストレスのせいか痛みも出血もひどくなってきていました。高校
に入ると痛みも出血もその激しさを増してきた。大学に入学した頃には、痛みも出血の方も半端では
なくなってきました。それでも、まだ痛みは生理中の二日目・三日目・四日目そのあたりを除けば、
動けないこともありませんでした。初経の時から痛みに悩まされていた私は、シオノギ製薬のセデス
を常用していました。セデスのせいで胃腸が荒れ、生理が終わると今度は胃や腸の調子の悪さに
苦しめられていました。鎮痛剤と胃腸薬は必需品でした。大学を卒業後も、生理の痛みと出血は
悪化し続けていました。30歳を過ぎた頃には、凝血もかなりの大きさのものが排出されるようになり
ました。それでも、生理の期間だけのことで、セデスを飲んで何とか耐えていました。

 腺筋症は、ストレス太りをするようです。31歳の時、母がすい臓ガンになり、看病のために地元の
病院そして札幌の大学病院へと足繁く通うことになりました。そして、翌年、母は地元の病院へ再入
院することになりました。季節は、冬でその年は、とても寒い冬でした。いつもの通りの病院への道
の途中、左の足の付け根に痛みが走りました。それが、生理以外の時に初めて起きた痛みでした。
その前年は、腺筋症の自分の身体のことを考えることもなく、痛ければとにかく動くために鎮痛剤を
飲み続けていました。とにかく母の病気のことで頭が一杯になり、それまで自然とセーブしてきた生活
を考える余裕もありませんでした。病気のコントロールを失った途端、腺筋症はむくむくと大きくなって
しまったようです。お腹がどんどん出てくるのが分りました。再入院後、2ヶ月足らずで母は亡くなりまし
た。そして49日、一周忌そのあたりまでは、生理の時の痛みや過多月経に苦しめられつつも、しなけ
ればならないことが沢山あり、腺筋症の進行に神経がいきませんでした。

 母が亡くなった頃、何故か虫歯が増えました。そしてやたらと氷が食べたくなってきました。冷たい水
じゃ駄目なんです。口の中には、氷のあの硬さがないと満足できなくなりました。ガリガリと食べると
これがとっても美味しく感じるのです。同時に、髪の毛が沢山抜けるようになりました。白髪も増え
ました。そして、その白髪もストレートではなく螺旋状になり、黒になったり白になったり茶色になった
りしていました。スプレキュアを副作用し始めた頃、一気に白髪が増えましたが、その時は髪の脱落は
それほどでもありませんでした。氷を食べたくなる異食症は、鉄欠乏性貧血の症状の一つです。
事前にその知識はありました。でも、「ああ貧血なんだなぁ」と思うくらいで過ごしていました。

その後、過多月経の程度は、豆腐半丁くらいの大きな塊が出るほどになりました。当然、貧血もひどく
なり回復するのにも時間がかかり、常にだるさを覚えるようになりました。そして、今まで30年近くも
使ってきたセデスもいよいよあまり効かなくなってきました。飲んでも効かない時も出てきました。そして
痛みと共に吐き気も増してきました。生理の時は、何度も吐き、飲んだ鎮痛剤も吐いてしまうようになり
ました。そして、生理の日以外に痛みがある日がどんどん増えていきました。痛みも辛いものですが、吐
いても吐いても吐き気が消えないというのも痛みに負けないくらい苦しいものです。今やセデスは、痛み
を30分間くらいだけ取り除くだけのものとなりました。しかも、飲むと半端じゃない経血が出ます。それでも
、まだ大きな凝血が出ているうちは何とかなりました。それが、ジャーと書物通りに、蛇口をひねった時
のように音を立てて流れるようになると身動きも取れなくなりました。痛みの方も遂に限界に来ました。

 いくら鎮痛剤を飲んでも常に痛みがある状態になってしまいました。痛みは、左の下腹だけではなく
左の膝小僧のあたりまでに及び始めました。お腹だけでなく太ももの筋肉までも硬く収縮してしまった
ように感じました。生理の時の痛みは、ピークに達し、誰かが子宮を鷲掴みをして、その上に雑巾を絞
ったような痛みに、誰かが子宮の中心部にキリを付き立てているような複合的な痛みとなりました。
鎮痛剤が効いてのつかの間に、少しだけうたた寝を始めても、再び名波のうに襲ってくる強い痛みの
連続に時々気が遠くなることもしばしばでした。貧血のひどさには気が付いていても、あまりの痛みの
激しさに、そんなことを考える余裕もありませんでした。そして、実際、貧血に伴い知能も低下していま
した。常に頭の中に霧かもやがかかった状態で、系統立った物事を考える力を失っていました。

 そんな中、このままでは駄目だ、死んでしまうかもと思ったのは、ある日の夜の出来事でした。その日
は、冬の終わりで寒い日でした。貧血がどんどん進み、夏でも寒いし、ましてや冬は鼻先や足先が寒くて
なかなか寝付けない状態でした。そんな中、ようやく寝たなと思った時、物凄い窒息感を覚えて跳ね起き
ました。そのまま横になっていては息ができない。窓を開けて外の空気を吸い始めました。息を吸い込もう
としても、空気が肺の中へ入っていきません。まるで、エベレストの頂上に立とうとしている高山病にかか
った登山家のような気分でした。暫く経つと少しだけ息が楽になりました。そして再び眠りにつきました。
そして、私はその日、お花畑を見ました。その中には、母を含めて亡くなった人たちがいました。私はこの
まま死んでしまうのかも知れないと思いました。一週間の間、ずっと痛みが続いて、しかも息も出来ない
状態だったので、そんな夢を見たのだと思います。もしかすると母からのメッセージだったのかも知れません。

 生理痛がなかったかあってもそれほどではなかった人が、ある日・ある時期から突然、生理痛がある
ようになったのなら、一大事とすぐに病院へ駆けつけたことでしょう。でも、私のように最初からずっと痛み
と過多月経を伴う生理があり、それが少しずつ悪化している場合、まだ耐えられるまだ何とかなるという
思いがあります。小学生の時に、小学館の「家庭の医学事典」を調べました。その時に直感しました。
「私は内膜症か腺筋症という奴のどちらかだ」と。そして、その項目を見るとピルを飲むというホルモン剤
を使った治療法が載っていました。そして対処療法としての鎮痛剤。それが効果なくなったり、つまり痛み
に患者が我慢できなくなったのなら、子宮や卵巣を全摘するというものでした。勿論、もう34年も前のこ
とです。内膜症も腺筋症もあまり一般には知られていない頃でした。でも、何となくピンと来るものがあり
ました。若年性の機能性の月経困難症ではなく、子宮それ自体に何かの病気があると思いました。
 そして、痛みと出血については無視することにしました。何としてもホルモン剤は使いたくないと思いま
した。逃げ切れるだけ逃げてしまおう。もしかするとそれが閉経の時かも知れない。と自分に都合のよ
い方に考えることにしました。将来のことを考えると生理がますますつらくなります。苦しむのは、その
時その時だけにしようと思いました。私は、どうやらとんでもなく馬鹿な人間に出来ているようです。

 そんな大馬鹿者の私も母の夢で、とうとう産婦人科デビューすることになりました。

 第四回  月と星と子宮と

 39歳。あと一ヶ月で40歳という時期に、生まれて初めて産婦人科の門をくぐりました。産婦人科には、
絶対にかかりたくないと子供の頃から思っていました。変わっていると言われることの多い私は、漠然と
恋愛や結婚などとは縁が薄い人間だという自覚がありました。ですから、なるべく子宮や卵巣などのいわ
ゆる産婦人科にかからないといけなくなるような病気には、かかりたくないものだと生理が始まる前から
思っていました。しかし、同時に生理が始まると生理に毎月悩まされることになるのではないかという予感
めいた不安もありました。病気はいつも突然になるものですが、なるべく避けたいと思っているようになっ
てしまうもののようです。

 痛みが激しくて少し落ち着いてからと思いつつも、ちっともその時期が来ません。そこで、仕方がなく
タクシーを呼び、病院へ行きました。病院へ行き、多分、産婦人科と思いつつも、何とか内科で診て欲し
いという気持ちもあり、内科で診察を受けることにしました。受け付けを済ませても、痛みはおさまらず、
自然とラマーズ法よろしく、はっはっはっは、ひっひっひっ、ふ〜と息を吸ったり吐いたりしていたらしく、
周りの人たちに「大丈夫?」と声をかけられました。そのうち座っていられなくなり、椅子に横になりました。
看護師さんがやって来て順番を早くしてくれることになりました。20分か30分後には、診察を受けてい
たと思いますが、その時間がとても長く感じました。

 診察を受け、ここ一週間ずっと痛みが続いていることを告げるとプスコパンの注射をしましょうと
いうことになりました。血液検査も受けました。しかし、注射を打っても、痛みには何の変化もありません
でした。相変わらず痛みは続いていました。1時間半ほどベッドで横になっていましたが、効果がない
ので、またタクシーで自宅に戻ることにしました。鎮痛剤のロキソニンと精神安定剤を受け取り、効くか
どうかは分らないが、とりあえず、自宅に帰ったら、それを飲むように言われました。

 薬というのは、効くと素晴らしいものです。私の場合、ロキソニンがそれでした。ブスコパンも効かず、
とりあえずと若い医者が仕方なく出した薬ですから、たいして期待もせず、効けば儲けもの感覚でした。
自宅に戻っても痛みは相変わらず続いていて、うんうん唸るしかない。ではとロキソニンと精神安定剤
を飲みました。痛みも、ここ一週間の中でも最高に苦しくなっていました。この痛みはいつまで続くのか
と絶望感に襲われ始めた時、全く、本当に突然にぴたっと痛みがおさまりました。まるで、台風が去った
後の晴天のよう気分でした。ロキソニンを飲んだのは、それが初めてでしたが、これは私の痛みには、
とっても合っているのが分りました。セデス一本浮気なしでやってきた私ですが、ピンク色の小さな錠剤
は、魔法の薬となりました。このロキソニンとの出会いが無ければ、腺筋症の痛みに耐えられずに、今頃
はきっと全摘していたことでしょう。

 自助グループが医者と共に出した本の中に、何故、痛みの治療が進歩しないのかという点が取り上げ
られていました。医者の説明としては、「全摘という根本治療を施せば痛みはなくなるので、痛みを治療
するということは対症療法という一時的なものに過ぎません。だから、痛みがひどくなった場合は、全摘
を選択すればよいと考えています。」というものでした。これは、患者の立場からすれば、全く逆さまです。
痛みの治療が進めば、子宮を全摘しなくて済む女性が増えるはずです。ガンの場合は、疼痛管理が重要
だという認識があります。内膜症や腺筋症の痛みに関しても、それと同様な認識が必要だと思います。

 さて、翌日、内科での血液検査の結果、著しい貧血であると診断を受け、いよいよ産婦人科の診察を
受けることになりました。初めての産婦人科での内診に戸惑いを受けました。そして超音波診断の結果、
別の病院へ紹介状を持ち、MRIを受けることになりました。超音波だけでは筋腫か腺筋症かの診断が
つかないということでした。

MRIに先立って、ヘモグロビン値7.4(でも、これでも貧血は、良くなっていた頃です。)の改善治療の
ために、鉄剤のフェロミアを飲むことになりました。それと同時に、スプレキュアも開始しました。生理が
ないので当然出血もなく、また貧血を繰り返している体は、鉄を効率よく吸収します。数値的には、2週
間後には、11まで回復していました。貧血が段々と治っていくうちに、今までのだるさや重苦しさ、頭痛
や頭重、冷えや痛みなどが消えていきました。貧血というものは、治してみて初めて、そのひどさに気が
つくことが多いと思います。

 そして、いよいよ他病院でのMRIの撮影とその結果診断が、担当医から告げられました。その結果は、
やはり予感していた通りの「教科書に載せたいくらいの典型的な子宮腺筋症」でした。シャーカステン
上のMRIの写真の中の子宮は、地球のようにまん丸でした。私には、子宮全体が月で、その中の出血
点が、まるで夜空に瞬く星々のように見えました。無気味というよりも、宇宙の神秘に似たような妙な感動
も覚えました。筋腫の歪んだ形の子宮が許せないという人がいますが、私は、腺筋症で肥大した子宮を
いとおしく思いました。

 第五回 オンリーワン?

 子宮腺筋症と告げられて、これからは今までのように無視するわけにもいかなくなった私は、早速、
子宮腺筋症に関する書物を探し始めました。筋腫や内膜症の本は出ているけれど、腺筋症はそれに
比べると名前が知られていないので、一般向けの実用書では見つからないだろうなぁとは思っていま
した。でも、筋腫か内膜症の本のどこかには腺筋症のことについて、ある程度の詳しい治療法が書か
れているのではないかというかすかな期待もありました。でも、そうではなかった。筋腫の中の腺筋症
は、筋腫に似て非なるもので、形は筋腫に近いが病気としては内膜症と言えると筋腫と混同しやすい
病気として取り上げられていました。また、内膜症の中に登場する腺筋症は、昔、内性子宮内膜症と
呼ばれたこともあったが、今は別々の病気と考えられている。基本的には、全摘しか有効な治療法は
ない、としごくあっさり説明されています。いずれにしろ、腺筋症は例外扱いです。

 やはり、こうなると医学専門書を探さないといけないと思いました。どんな病気であろうと医学書で
取り上げていない病気はないはずです。医学書を読まなくても、実用書である程度の知識を手に
入れることができる病気についても、医学書を1冊買って読むことは大切だと思います。詳しい知識
は、決して無駄にはなりません。腺筋症の場合は、ある程度の知識を得ることそのものも難しく、
内膜症や筋腫と同じくらいの患者がいると推定されている割には、一般の人が書店で簡単に手に
入る本や雑誌などで話題となる機会が少ないなぁと思います。

 ある程度、自分の中に本や雑誌などを通じて、腺筋症の知識がたまってきますと、同じ病いを
抱えている人たちとお話しがしたい思いが増してきました。知識は所詮知識だけです。同じ病気
の人間と出会えたら、お互いの励みとなるだろうと思いました。書物の中の症状だけでなく、今、
腺筋症で苦しみながら悩みながら生きている生身の人間と巡りあいたいと思いました。でも、同じ
病気の人と出会うにはどうしたらよいのか?まさかこの世の中に、たった一人の腺筋症患者という
ことはないはずです。診察し診断する側にいる医者は、腺筋症患者を見つけることは、ちっとも
難しくはないはずです。でも、患者同士は孤立しています。そんな中、同じ病いの人と知り合うため
には、どうすればよいのか?それは、自助グループに入ることです。

 婦人病の自助グループとして、雑誌に載っていた自助グループが二つありました。そのどちら
へも案内書を郵送して頂きました。そして、メーリングリストがあり、全国の仲間と話しができる
グループの会員となりました。これで、ようやく私も全国の腺筋症仲間と知り合い、そして色々
な話しができるのだと思いました。でも、その当時は、パソコンもなく、入会後、数ヶ月は隔月刊
で送られてくる機関誌を楽しみにしているだけでした。機関誌というには、薄くいものでしたが、
その僅かに載っている記事を読むだけで嬉しかったです。腺筋症については殆ど記載はありま
せんでしたが、筋腫や内膜症の人からのお便りやメーリングリストで飛び交った内容を読むだけ
でも、別の世界を垣間見たという満足感がありました。患者同士の交流というものの力強さも同時
に感じました。そして、私もその世界、つまりメーリングリストに参加してみたいという思いが日増し
に募っていきました。

第六回 41の手習い

 メーリングリストへ参加するためには、パソコンが必要です。ワープロは使っていましたが、
パソコンを使ったことはありません。40歳を過ぎたおばさんは、機械オンチが多くて買っても
使いこなせなくなり、部屋の片隅に置かれたままになっている場合が多い。そんな話しも聞き
ました。でも、自助グループの人たちは、そのパソコンのレベルはともかく、メール送受信は
こなしています。他の機能はともかく最低限のメールの送受信ができるくらいの段階までこな
せれば十分だと思いました。とにかくパソコンを購入して、それを電話回線に繋いでメーリング
リストに参加をする。それがまず第一の目標でした。

 パソコンを何とか電話回線と繋ぐことができてから、メーリングリストに登録手続きをする
まで結構時間がかかりました。ピリオドと句読点などの間違い、キーボード上の文字の一つ
を探すのにも時間がかかりました。インストールやブラウザという言葉も何も分りませんでした。
パソコン初心者からの一年半は、メーリングリストでのメールを送受信するだけなので、月1時間
程度の接続時間でした。それでも、色々と覚えることがありました。買ったノートパソコンが最初
からトラブルの連続で何度もインストールを繰り返さないといけなくなったりしました。コンピュータ
ウイルスという厄介な奴とも遭遇しました。

 コンピュータと悪戦苦闘をしながら、メーリングリストを続けていました。腺筋症仲間と知り合う
こともできました。でも、メーリングリストの中心は、子宮筋腫の話題でした。何とか全国の子宮
腺筋症を抱えて日常生活を送る人たちと直接話しがしたいという思いが募ってきました。2001
年2月に、自助グループから独立をして地方の自助グループを作り活動することになりました。
その活動のために、自分たちの自助グループのHPを作ることになりました。そのHPを作る際の
参考にするために、色々な婦人病のサイトを訪問しました。その時に、パソコンを始めた一年半
前と同じように「腺筋症」あるいは「子宮腺筋症」をキーワードに検索をしてみました。一年半の
間には、多分、腺筋症患者による腺筋症患者のための暖かいHPがきっと出来ているはず。
少なくても一つや二つは検索できるはず。そう思って検索をしたのに、結果は、今度もゼロでした。

 「どうして?」私は、不思議でなりませんでした。筋腫や内膜症の患者さんたちが作ったサイト
は、沢山検索されるのに、腺筋症患者は筋腫や内膜症の患者と同じくらいの数がいると言われ
ているのに、何故誰もHPを作っていないのだろうか。そして、同時にこうも思いました。きっと
私のように、「腺筋症」や「子宮腺筋症」で検索をして、「ああ、やっぱり腺筋症のHPはヒットしな
い。何で誰も腺筋症のHPがないんだろう。」とコンピュータの向こう側で溜息をついている腺筋症
患者が全国には沢山いるんだろうなぁと。ならば、腺筋症患者のHPがどんどん出来て珍しくなく
なる環境になるまで、細々とでも自分でHPを作ってみようと思いました。

 そうは言っても、その時の私には、ホームページの作り方もましてやどのように全国へ情報
発信をしたらよいのかも皆目分りませんでした。ただ、同じ腺筋症仲間と話しがしたいという
思いしかありませんでした。ですから、掲示板は必要だという以外のことは頭の中にはありま
せんでした。書店でホームページを作るために参考になる本を何冊か買い集めました。そして
インターネットの時間も月5時間に増やしました。

 HPのタイトルには、必ず子宮腺筋症という文字を入れればいいだろう。掲示板を作る。
最低限それだけ作ればよいと考えてHPを作り始めました。何人かの仲間が出来たら、あとは
メールで交流すればよいのではないかと考えていました。HPの宣伝をすることもなければ、
それほどの訪問者もないと思ったからです。実際に、公開から最初の三ヶ月間は、誰も訪問
する人もいなくて、日記みたいな書き込みを続けていました。ところが、三ヶ月を過ぎた頃から
宣伝もしないのに、少しずつ訪問者が増えていきました。そうなるとタイトルに腺筋症の名前を
掲げている以上は、腺筋症についての知識とか情報を載せなければどうにも格好がつかない
なぁと思いました。そういうわけで、子宮腺筋症の知識の項目を作り、少しだけそれらしく婦人病
のサイトらしく体裁を整えました。(笑)

 自助グループからの独立に伴い地方の自助グループのHPを作っていなければ、当然、
小部屋のHPを作ることもありませんでした。そして、小部屋のHPが、こんなに長い間続く
も考えてはいませんでした。これからもどのくらい続くものかは分りませんが、今は続けて
いきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。最後に私から皆さんへ
お願いがあります。今は、ブログなど日記をつける感覚で簡単に自分のHPを公開すること
ができる時代になりました。どうか皆さんも小部屋のHP以上に素敵なHPを作って下さい。
腺筋症に関するHPが沢山できれば、それだけ腺筋症患者にとって心強いことでしょう。
 皆様が作るHPを期待しています。

 第七回 言霊(ことだま)

 月2回のチャットルームに参加できるように電話料金込み月5時間から月10時間のコースへ
変更手続きをしました。これで4月からは、チャット一回につき1時間半から2時間くらいの時間
は、参加できると思います。とはいえ、チャットは何度やっても苦手です。できるだけチャットへ
参加しようと思いますので、管理人と一度は話しがしてみたいと思われる方は、月2回のチャット
ルームへアクセスしてみて下さい。

 HPは、直接顔を合わせる場合と異なり、文字だけ、それも活字という個性もない文字面だけの
交流の世界となります。直に会えば何ということはない言葉も活字になれば、トラブルの元にもな
ります。活字は、その人の持つ雰囲気やその場の流れが良く分かりません。しかも、話し言葉と違
って何時までも視界や記憶に残ります。だからこそより慎重に言葉を発しなければならないと思い
ます。でも、そのことに神経質になり過ぎて思ったことを発言できないような掲示板は、とてもつまら
ないと思います。お互いを認め合って自分の考えを自由に言える場であることが大切だと思います。
そして例え自分が賛同できないような意見に対してでも、気軽に自分の意見を安心をして主張でき
なければと思います。

 話し言葉と同様に、インターネットで交わされる活字による言葉もまた、それを読んだ人の人生を
変えるような魂を伴うものだと考えています。病人は、体を病むと同時に心も弱くなっていることが
多いものです。医者は、体を診ることには重点を置きますが、心をも合わせて診てくれることは少ない
です。自助グループの役割は、こうした医者が軽視しがちな心の健康を取り戻すことではないかと私
は考えています。確かに、自助グループに参加をしても、よい医者とよい病院、治療方法などの情報
は得られたとしても、ただそれだけの存在だと考えている人たちが沢山います。でも、自助グループ
の最大の利点は、直接あるいは間接な言葉による心の癒しだと思います。

 患者を物としてではなく一人の個性を持った人間として病気を診ることが大切だと言われ続けながら
も、現実は、時間がなく患者が多いので忙しいからと医者が患者に対して最低限の質問をし、診察を
終えています。でも、時間がなくても医者には、病者に対する優しい視線を注いで頂きたいと思います。
そして、短くても心のこもった言葉をかけて欲しいものです。言葉は、人と動物とを区別する道具です。
言葉には、人を元気にする力を持っています。言葉を適切な時に適切に用いるのは、とても難しい。
時には、気が付かぬうちに人を傷つけているかも知れません。その反面、言葉は、宝石が放つような
輝きもあります。活字を書き込む時には、そのことを頭の片隅に置いて頂きたいと思います。

 第八回  三倍

 平松愛理さんが最近出した集英社Beブックス『白い部屋とYシャツと「私の真実」』を読みました。その
中で、子宮全摘と右卵巣摘出後の細胞診の結果、凍結骨盤と言われるような重症の内膜症に加えて
”めっちゃくちゃ痛い腺筋症”も一部併発していたとありました。「腺筋症はめちゃくちゃ痛いんだそうだ」と
書いてあるのを見て、「そう、めっちゃくちゃ痛いのよ。」と思わず返事をしたくなりました。

 デビュー直前の27歳になる少し前から突然の激痛で始まった子宮内膜症との闘い、12年間に及ぶ
内膜症との付き合い、そして結婚と出産、そして子宮との別れ。前作のゲキツー!!という本は読んだ
ことはありませんが、とても正直な方だなという印象を受けました。

 痛みがある生活が当たり前になってしまった状態の中、仕事に全力投球をし、いつもファンの前では
笑顔で歌い続けていた頃の苦しい生活と内膜症の治療、芸能人ということでストレスの溜まる生活、
子育ての大変さなどが書かれていました。この本の中で共感を覚えたのは、痛みがあると何もかもが
人の三倍時間がかかるということです。痛みがあるとゆっくりとしか動けません。さっさと動けません。
それが何事も優雅におっとりとしていると受け止められていたようです。その上に、医者の娘だ分った
日には、「あーやっぱり。そんな感じがするよね〜。」と言われることになる。本当にそうなんですよね。
痛みがあったり、過多月経があったりすると普通の人の三倍ときには五倍の時間がかかります。

 頼まれた仕事だって、自分では精一杯やっているのに、あんたはやれるのに頑張ろうという気力が
ないんだよねぇと言われたりします。やろうとする気持ちはあっても、痛みのない時には簡単にできる
ことであっても、痛みがあるとできないことや時間がかることは沢山あります。それをする能力があるこ
とと実際にできることとは違います。痛みのないのが当たり前の人たちにとって、痛みを抱えていること
の大変さは想像ができないと思います。ましてや痛みは外からは見えません。痛みが誰の目にも、その
程度がよく分るような機械があれば、きっと腺筋症患者に対して世間は優しくなることでしょう。

 気になるのは、医者が一般向けに書いた「子宮内膜症」の本の中で、腺筋症は幸い、出産後の
発症が多く、その上、内膜症に比べて痛みが軽いと書かれていたりします。医学の専門書にも、
根本的には子宮全摘をする方法しかないが、患者は幸い閉経間近の患者が多く、全摘がそう問題
とならないことが多い。今後の研究が待たれる。などという記述があったりします。こういう記述を
目にする度に、きっとこういう文章を書く医者にとっては、内膜症の治療が最大の関心事であり、
腺筋症については、観察や研究の対象にもなっていないのではないかと思わざる得ません。

 筋腫も内膜症も腺筋症も、その症状の一つとして、月経痛があげられています。内膜症について
は、物凄く痛くて子供が産みにくくなるらしいとマスコミを通じて、最近は広く知られるようになりま
した。激しい月経痛イコール子宮内膜症で、あとは筋腫しか良性腫瘍の病気はないかのようです。
 相当の数の人たちが腺筋症だと診断されているのに、腺筋症の知名度はいまだ上がっていません。
腺筋症がもっと一般的な病名になればと思います。

 第九回 食欲と空腹感

 30歳を過ぎた頃からだろうか、食べ物が美味しくて美味しくてついつい食べ過ぎてしまい、お腹を
壊すことがなくなりました。考えてみれば、貧血がどんどん進み、生理時の出血量が増えていった
時期です。慢性的で重度な貧血状態になって以来、ドカ食いすることが殆どなくなりました。

 グラタンや脂っこい食べ物は殆ど口にすることもなくなりました。食べる気持ちにならなくなりました。
作って食べても、以前ほど美味しいと思うこともなくなりました。食欲もあまりなくなりました。年齢の
上での食欲の衰えではなく、貧血のせいだと思います。頭や心臓や肺などの生命の維持に直接関
わりのある部分に酸素を回すために、胃や腸などへ流れる血液量が減らされているのだと思います。

 最近は、食欲はないけれど空腹感がある状態にしばしば陥ります。貧血がさほど進んでいない
頃は、空腹感はあっても、意地汚く美味しいものがあればある分だけ口の中に放り込みたいという
気持ちがありました。そして、ついつい食べ過ぎて後で胃を壊したりしました。それが、食欲がなくて
食べ物を少し食べただけでも、満腹になるし、美味しいとも思えないことが多くなりました。でも、少し
経つと空腹感が出てきます。空腹感があると精神的にイライラとしてきます。とりあえず、空腹感を消す
ために、何がしらの食べ物を胃の中に入れます。健康な時は、食欲と空腹感は殆ど一致していますが、
病気になるとそれぞれが別々なものなのだなと実感させられます。

 今から考えてみると、30歳になる直前、毎月の生理での過多月経による貧血がまだ食べ物で
何とか回復可能だったギリギリの線上にあった時、不思議なほどに食欲がありました。普段は好き
ではない甘いお菓子やジュースなどを中心にやたらと食欲が増し、よく食べていました。色々な食べ
物から、何とかして鉄分を摂取しようと体が本能的に求めていたのだと思います。変な物を食べて
いたわけではないけれど、貧血になると変わったものが食べたくなる異食症だったのかも知れません。
 あの頃は、空腹感イコール食欲だと固く信じて疑いませんでした。

 痛みの酷さにばかり頭が行き、過多月経の煩わしさには閉口しつつも、体の慣れということも
あり、貧血のもたらす様々な病状については考えることが少なかったのですが、最近、改めて
貧血の全身に渡る負担と悪影響に気が付き、計画的に生理のリズムに合わせて、ひどい貧血
状態に陥らないようにと努力するようになりました。

 もう一度、食べ物を美味しく食べれるようになりたいと思います。痛みがなくなれば、食欲だけ
でなく、他の生活する力もぐ〜んと上がることになると思います。この痛みについても、今までは、
腺筋症から来たものだと思っていたけれど、実は、貧血のひどさから来るものだと気が付いた
ものもあります。案外と貧血から来る症状を腺筋症のせいにしていたのだなぁと反省しています。
 皆さんも、貧血にはくれぐれもご注意下さい。

 第十回 気になる全摘と更年期の関係

 腺筋症の最後の決断かつ最後の救いは、子宮の全摘ということになります。全摘をすれば、
激しい痛みからも解放されます。煩わしい過多月経からも解放されます。過多月経がなくなれば
貧血に苦しむこともなくります。生理という月に一度のイベントがなくなり、子供を産むことが100%
なくなります。結婚をしていて子供を望んでいる人たちにとって、子宮を全摘することは考えられま
せん。

 私の場合は、結婚もしていないし、将来、間違って?結婚相手が見つかっても、これから子供を
産もうとも思わないと思います。40歳を過ぎて45歳の年を迎えるまでの間は、こんな私でも、本能
的に、結婚をして子供を産むために残しておきたいという気持ちがありました。45歳を過ぎてから
は、もしかして結婚をするかも知れない、また出産をするかも知れないという思いが薄れました。
 今までは、子宮全摘イコール子供が産めなくなるという思いが強かったです。でも、今は、その
ことよりも、子宮を全摘することにより、更年期障害を起こすのではないかという思いが強くなって
きました。

 内膜症や腺筋症と診断された人が、子宮を全摘して痛みや出血から解放されて、日常生活が
明るくなったという報告と同時に、全摘後に、更年期障害に苦しめられているという声も聞きます。
 内膜症、筋腫や腺筋症にかかる人たちは、健康な人よりも女性ホルモンの分泌が順調で、閉経
の時期も遅くなっています。症状が重くなって全摘を決断しようとする時期は、大体40歳から45歳
くらいの方が多いと思います。間もなく閉経になるのではないか?と医者に尋ねると殆どの人が、
「いえ、まだ少なくても10年は生理はあります。全摘しなければ、あと10年はどんどん症状がひどく
なりますよ。」と言われます。その話しを聞くと、こんな生活をあと10年以上も続けなくてはいけない
なんて耐えられないと思い、決断する重要な要因になっているようです。でも、実際に決断をして、
子宮を全摘した後、術後検診を受けてみたら、「子宮だけ取り除くのであって、女性ホルモンを
分泌している卵巣には手をつけないので、更年期障害は起きません。」という術前の話しとは裏腹
に、女性ホルモンが、更年期障害が起きても不思議ではないレベルにまで下がっていると言われ
る人が多いようです。

 医者は、たまたま貴女の更年期が始まるのと手術が重なっただけと言うようです。でも、全摘
を迫る時には、閉経はまだまだずっと先のことだと言われている人たちが、揃いも揃って、手術
後に、更年期に突入するなんて、確率的にそうないとのではないでしょうか。UAEなどでもそう
ですが、35歳を過ぎると卵巣の機能は急激に低下し始めます。そして、それは40歳を過ぎると
少しの刺激で、回復するのに時間がかかるようになります。そして、42、3歳頃になると回復する
ことができない場合が増えてくるようです。ですから、例え卵巣は取らなくても、子宮を全摘した
り、動脈塞栓術をしたりすることが契機となり、更年期に突入してしまう人もいるのだと思います。

 問題は、子宮全摘をする際に、子供を産めなくなること以外は、困ったことは何もないかの
ような説明がなされる場合が殆どだということです。そのくせ、術後に検診を兼ねて病院へ
足を運んでも、入院し手術を受ける前のようには親切ではないようです。術後に調子が悪い
と訴えても、全然熱心ではなく、うるさいといった態度を取られると話してくれる人が結構いま
す。子宮を取ったのだから、手術は成功しているのだから、もう大きな問題も起きない。多少
具合の悪いことがあってもそんなことは知らないよと言われた人もいます。おまけに、45歳
なら、あと少しで閉経したんじゃないの。ホルモン数値もそんな感じになっているよ。手術しな
くても、良かったかも知れないね、なんて後で言われたりした人もいます。

 地元の自助グループで、そんな話しを聞きますと45歳の正に更年期真っ盛りの年齢に
いる者としては、全摘することにためらいを感じてしまいます。その一方で、全摘したことに
よって生活の質が向上し、こんなんだったら、もっと早く全摘しておけばよかったと後悔して
いる人もいます。若い時に、長い間、ひどい自律神経失調症に苦しんだので、全摘をして
痛みや出血、貧血から解放されたのに、ひどい更年期障害との長い付き合いが始まるのは
つらいなぁと思ってしまいます。思えば、スプレキュアを半年間服用しただけで、体調を崩して
回復するまでには、三年近くもかかりました。

 更年期に入ると更年期障害も加味しながら、治療を考えないといけなくなります。腺筋症と
卵巣機能の低下と更年期障害。初経以来、女性ホルモンと子宮に振り回されっぱなしの私
です。ガンの自然治癒があると同時に、腺筋症にだって自然治癒があっていいはずです。
 そんな奇跡が起きないかしらんと夢を見てしまいます。筋腫も内膜症も子宮ガンの治療の
進歩に比べて、腺筋症は最初から全摘しかない、みたいで研究しようと考える人は殆どいない
のでしょうねぇ。人が取り組まない分野で研究し続けることは、とっても意義があるなと思う
のですが・・・。

 以下、続く

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