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第四十三章 解放

 生理が来てから30歳頃までは、子宮の痛みは、イコール生理痛であり、生理の時にだけ悩めば
いい問題だった。確かに、年々増す痛みの激しさや出血量の多さに恐怖と不安を感じていたものだ。
貧血による体力低下も感じていた。でも、それは、生理の間の二日目か三日目の二日間で、長くて
も四日目を含めた三日間だった。期間限定の激痛だから、その間だけ鎮痛剤を多めに飲んで耐える
ことに、不自由さは感じていても、痛みのない日常生活と区別をすることも容易だった。

 しかし、母が膵臓がんと診断され、その看病のために、地元の病院へ通い始めた頃に、初めて左
脚の付け根当たりに、ズキンとした痛みを感じた。生理以外の日に、子宮以外のところに感じた痛み
は、これが最初だった。その時、私は32歳になる少し前だった。30歳の頃から、生理中の激痛や激痛
後に残る子宮の痛みの時間が長くなってきていた。過多月経のために、2週間近くも続いた生理が終わ
っても、まだ子宮にぴりぴりとした痛みが残るようになってきてはいた。しかし、それは、まだ市販の痛み
止めを飲めば、何とか押さえ込むことができた。

 腺筋症が一気に悪化したのには、母の膵臓がんの発覚とそれに伴う看病と精神的な苦悩が大きな
要因となっていると思う。数年前から少しずつ痩せ始めた母は、膵臓がんと診断される半年前からは、
急激に痩せ始めた。肌色も薄黒くなってきた。糖尿病があるということで、個人の病院へ通っていた。
そこでは、肝臓の機能が低下しているということで、肝臓の薬をもらっていた。結果的に考えてみると
糖尿病となったのも肝臓が悪いとのも、膵臓がんのせいだったのだ。診断時には、膵臓がんは進行して
おり、肝臓にも転移があった。黄疸が出て、食べられなくなって末期の膵臓がんで、手術もできない。
余命は、1ヶ月くらいだろうということであった。

 いきなり、余命1ヶ月と告げられて、手術もできないと言われて強いショックを受けた。そんな中での
看病は、肉体的によりも精神的につらかった。その後、大学病院で手術を受けましょう。手術を受ければ
余命半年から1年くらいになるでしょう。そう言われて、父も病人である母も手術に同意した。膵臓がん
発覚から10ヶ月後に、母は死んだ。その間、地元の病院と札幌の大学病院で母を看病し続けた。
左脚の付け根にズキンとした痛みを感じて以来、痛みがない日よりも痛みがある日の方が続くように
なってしまった。

 市販の痛み止めを飲んでも効果が薄くなってきた。しかし、母の病気と看病のことが生活の中心と
なっていたので、とにかく動くためにと必要な時には、痛み止めを飲んだ。だから、母の闘病期間は、
痛みに苦しんだ記憶はあまりない。子宮の痛みから解放された代わりに、胃や腸の痛みにしばしば
苦しめられていた。それでも気が張っていたせいもか、それともまだ若かったせいなのか睡眠時間が
2時間とか3時間でも良く体を動かすことができた。この時の無理な生活がたたったのか、母の1周忌が
過ぎた頃から、みるみる間に病気は進行した。

 母が生きている間は、気が張っていた。それが母の死と共に、その緊張の糸がぷつんと切れてしまっ
たようだ。そして、市販の痛み止めでごまかしてきた痛みと胃腸の不調と貧血が一気に噴き出たようだ。
身近な人の死は、心を弱らせる。そして、心の弱さは、体をも弱らせる。母の死後、三年間は、つらかった。
五年経ってようやく客観的に母の死を捉えることができるようになった。本当に母の死を過去の出来事と
して冷静に受け止められたのは、十年もして経ってからだ。

 いつも心が縛り付けられていた。いくら考えても仕方がないと分っていながら、心がざわざわしていた。
それと平行して、腺筋症は進んでいった。お腹の上から、ここに子宮があるぞというくらいに大きくなった。
痛みも市販の薬では効かなくなった。出血もひどくなり、大きな血の固まりが沢山出るようになっていた。
全てのことがが、どんどん悪い方へと進んでいくようだった。

 そして、とうとう大きくなった子宮が神経を圧迫したせいで起きていると思われる痛みのせいで、痛み
だらけの日が続いて、眠ることもできなくなってしまった。39歳。中学生の頃から、ずっと思っていたこと
に直面せざる得なくなった。「痛みに我慢できるうちは、市販の痛み止めで何とか我慢し続ける。治療は
受けない。ホルモン剤は受けたくない。もしも、市販の薬が効かない状態になったなら、子宮を全摘す
ることも覚悟しないといけない。」39歳で、中学の時に決めたことの答えの一つを出した。実際に、その
段になってみると色々な意味で、子宮の全摘はしたくないなと思った。そこで、毒と知りつつ、スプレキ
ュアを服用することにした。

 以前にも書いたが、スプレキュアには、多くの副作用があった。でも、何年も続いた痛み漬けの毎日から
の解放は、母の看病と母の死に疲弊していた私の心と体に余裕を与えてくれた。とにかく痛みはつらい。
何をするにも考えるには、痛みは余計なものなのだ。しかも、生活に占める痛みの及ぼす割合は、とてつ
もないくらいに大きな存在だ。半年間のスプレキュアは、心には、強い解放感を、そして体には、砂漠の
中のオアシスを与えてくれた。だからと言って、またスプレキュアをもう一度とは思わないが。

 スプレキュアを体験から、もう6年も過ぎた。だが、スプレキュア使用で毎日の痛みから解放された時の
あの解放感は鮮明に覚えている。痛みという奴は、体だけではなく心、いやむしろ心を縛り付けるもの
だとつくづく思う。痛みから解放されるために、子宮や卵巣を取るしかないのか。いや、取って痛みから
解放される道があるのは、とても恵まれているとも思う。つらい思いをして、臓器を取り去っても消えない
痛みを持って生きている人たちがいる。そして、痛みだけではなく、生命にも影響がある人たちがいる。
そう分っていても、まだ全摘は決心がつかない。正常の子宮に戻れないのなら、切らなくても子宮が
消えてくれるような方法があれば、私はその治療法を受けたいなぁ。やっぱり、集団生活ができない
気が弱い猫体質の私は、手術で体にメスが入るのと入院生活が大嫌いでたまらないのだ。

第四十四章  HP

 
いつも、自分が運営しているHP以外は、特定のサイトの掲示板に遊びに行く程度だが、たまに
婦人病のサイトなどを検索してみて、覗いてみたりする。自分のHPの運営のために役立つこと
や勉強になることがあるのかも知れない。そう思って訪問するのだが、自分のHPのためになる
ことは実は殆どない。他のサイトの素敵なWEBデザインとHPの管理人さんたちのこまめな対応に
関心させられるだけだ。ただ、そのHPへ集う仲間たちと管理人の関係、そしてそれを基盤とした
そのサイトの雰囲気を感じることは大変勉強になる。

 自分のHPの雰囲気がどのようなものなのかは自分では良く分からない。しかし、他人のHPは
良く分かる。管理人の性格がよく出ていると思う。ヤフーで紹介されているような有名サイトの管理人
は、掲示板の書き込みに対して適切なアドバイスをしている。とても丁寧な言葉の中に、その人の
感性と知性を感じる。さすがに、ヤフーに紹介されているだけのことはあるなと関心させられる。そし
て、さぞ大変なことだろうと思う。ご自身も同じ病を持つ身でありながら、長い間、親切丁寧にHPを
運営されていることは、並大抵のことではないと思う。

 婦人病のHPでも、悪性の病気の場合は、運営者と訪問者との間は、良性のそれに比べて、かなり
距離は近いように感じる。病気が深刻なものになればなるほど、連帯感は増すのだと思う。軽い病気
で、治療の選択範囲があり、治療成績もはっきりしていて、命には直接関わらない。その上、日常
生活をするにもさほどの障害も伴わない。そんな場合は、気楽ではあるが、真剣さも足らないように
感じる。その一方で、悪性疾患の場合は、返答するのも辛い場面も多いことだろう。

 私は、地元の婦人病の自助グループのHPと小部屋のHPを運営している。グループとしてのHPは、
個人のHPに比べて、アクセス数が少ない。だから、掲示板への書き込みも少なくて、返信する数も
少ない。個人のHPでは、自分の性格のまま回答すればよいが、グループとなるとその集団の代表と
して個人色を消して回答しなければならない。運営方針もまた異なる。婦人病の自助グループのHP
は、商売や趣味のHPと異なり、ただ宣伝をして、沢山の人に遊びに来てもらえばよいということには
ならない。良性の婦人病疾患に悩む人たちが、検索をしてみてHPを見つけて、会の活動を知って
もらうことが大事だ。

 HPを始めた頃は、会合に参加したい。会員同士のメーリングリストに参加をしたいという人たちが
殆どだった。しかし、段段とインターネットをする人の数が増えてくると、会合に参加はしても会員に
ならない人たちが増えてきた。結局のところ、病気に対する情報が段段とインターネットで手に入る
ようになった。また、そういう関係のHPが設置する掲示板であれば、個人の匿名性を保ちつつ、
かなりの部分まで尋ねることができる。それでも、会合へ一度だけ参加をするという人は、具体的
に同じ病気の体験者の声を聞くことができる。そしてなによりも、会員が知っている良い医者と良い
病院を知りたいからだと思う。複数回会合に参加する人は、そういないのは、そうした事情からだろう。

 翻って、小部屋のHPを考えてみると、その傾向は変わらないのだろうなぁと思う。匿名性を保ち
つつ、詳しい情報を得たいと考える人が多いのだろうなと思う。腺筋症のような病気は、まずは
病気に関する知識と情報が多いことだろう。そして、自分が受けたいと思う治療をしている病院
と医者を知りたい。新しい良い治療方法があるのかどうかを知りたい。きっとそういう人たちが多い
のだろうなと思う。それをあまり手間をかけることなく知ることができる手段として、インターネット上
で検索をかけて探して訪問されてくるのだろうと思う。

 管理人の思いは、全く別のところに重点が置かれている。他のHPの管理人のことは分らないが、
私自身は、腺筋症の知識や情報よりも、患者同士のふれあいを大切にしたいと思っている。HPに
は、子宮腺筋症の知識という項目を設けたが、それは、HPのタイトルに、子宮腺筋症とあるのに、
全く病気についての説明や解説がないのはおかしいものだと思っているから作ってみただけだ。
ふれあい掲示板一つで、病気だけでなく、人生や社会問題などについて、様々な人たちが様々な
意見を語り合うような広場になってくれればいいなぁと願っていた。だから、ふれあい掲示板の過去
ログ作りは、当初は考えてはいなかった。

 結果的に見れば、ふれあい掲示板は、病気中心の話題中心となり、その投稿者も限られたもの
となっている。これは、小部屋のHPだけに限らないが、書き込みに対する返信は、圧倒的に管理人
だけというところが殆どだ。HPにアクセスしてきた人のほんの一部の人しか書き込みをしない。
だから、他人が書き込みをしたものに返信をする人の数も少ないのだということも知った。HPは、
誰にも作ることはできるが、継続して、ある程度のレベルを保ちつつ運営し続けるのは、結構大変
なことなのだ。HPを続けて、5年目に突入して、そう感じる。

 それにしても、予想外なのは、子宮腺筋症のHPが増えないことだ。検索をかけて出てくるHP
が単に少ないだけかも知れないけれど、筋腫や内膜症のHPと比べてみると検索をして出てくる
数が少ないなと思う。腺筋症を取り上げたHPがもっといっぱい増えていけば、そのHPの管理人
の数だけ違う雰囲気を持った優秀なものと巡り合える機会も増えるのにと残念でならない。小部屋
は、いつまで続くのか分らないが、見に来てくれた人たちが、威圧感を覚えることがなく、ほっと
一息つける場所でありたいと思っている。

第四十五章 個人情報

 今年の4月から、個人情報の取り扱いに、細心の注意を払うことが義務つけられた。インターネット
の世界を知って、最初に難しいものだと感じたのが、この個人情報、プライバシーの取り扱いだ。
自助グループでは、お互いの名前や住所など個人情報を公開しながら活動することにしている。
匿名性が高くなると残念ながら、不謹慎なことをする人がいたりするので、そういうことも防ぐため
にも、匿名での参加は認めていない。だが、初めて、自助グループを利用する側に立って考えて
みると、個人情報を書くことに抵抗や不安を感じる気持ちが良く分る。

 嫌なことだが、この世の中には、ひどい人たちがいる。個人情報を集めて金にしたり、悪い
ことに使わないとも限らない。自分が参加しようとする自助グループの責任者が、そういう類
の人種でないという保証はどこにもない。だから、最近、札幌へは来られないけれど、会員と
なって会員同士のメーリングリストへ参加をしたいという人に、それでは、名前と住所と電話
番号とメールアドレスを教えて下さいとメールをすると、途端にメールが途切れてしまうことが
増えている。それは、それで仕方がないことなのかも知れない。

 でも、戸惑うのは、そういう人たちの行動だ。こちらが、本名で返信しても、ハンドルネームの
ままだ。ハンドルネームのままでメールを書くのは、私という人間とは、それほど親しくはなりたくは
ない。あるいは、信用はしていない。そういうことなのだろう。だが、そんな人間に、自分の病気
とその症状を書き、これからどういう治療をしたらよいのか。良い病院は、どこか。良い医者を知ら
ないのか。あるいは、自分の悩まされている病気の詳しい説明が欲しいと訴えてくるのだ。

 そう聞かれて、分るようなことには答えてはいるが、そういうハンドルネームで匿名性の高い
人は、ずっとそのような調子で、こちらが返答したら、そのままメールが途切れてしまうパターン
が多い。結局は、便利屋さんみたいなものと思っているのかなと感じてしまう。個人情報を漏洩
しないようにするのは、プライバシー保護の観点からも当然だと思う。しかし、こちらが名前を名
乗っていても、ハンドルネームのままだというのは、合点がいかない。ある人によると名前を出す
こと自体がプライバシーの侵害に繋がる危険性が伴うので、無用なトラブルを避けるために、と
いうことではないかというのだが・・・。

 自助グループの活動を通して、人間を信じることの難しさを実感した。確かに、顔も姿も見えない
人を信用できるのか。最近の事件を見ているとまさかと思うような倫理観のなさが横行している。
インターネットの中での表面的にではなく、本当の温かみのある触れ合いはますます難しくなって
いくのだろう。人と人との関係は、インターネットと共に知り合うことは多くなったけれど、人間的な
暖かい交流は難しくなってきているのかなと思う。

 以前、参加していたメーリングリストに、ある人が不妊のメーリングリストに参加していることを
別のメールリストのメールに書いた人が、プライバシーの侵害だとメーリングリストの管理者から
注意を受けていた。その人の自己紹介メールには、不妊で悩んでいることは書かれてあった。
この自己紹介メールは、そのメーリングリストへ参加している人たち全員が目にするものだ。
不妊に悩んでいるからと言って、不妊のメーリングリストに参加するとは限らない。しかし、不妊
のメーリングリストに参加しているとしても別に驚くに値しないのではないか。不妊のメーリングリ
ストに参加していることが、その人のプライバシーの侵害になるとは、私には思えなかった。

 個人情報やプライバシーについては、人それぞれの捉え方がある。個人の気持ちを尊重する
ことは大切だと思う。だが、個人情報やプライバシーに関する過剰なまでの反応は、人間関係
を悪くする。そう思う。インターネットは、便利だが、直に会って交流するわけではない。だから
こそ、お互いに節度を守っていかないといけないものだと思う。ただ、人に質問をして返事が
届いた時は、例え、その自助クループやそのメールの返信者に関心がないとしても、短くても
ありがとうのメール一本でも送って欲しい。それとも、かえって迷惑に感じているということなのだ
ろうか。

 人間関係は本当に難しいものですねぇ。ふぅ〜。プライバシーと個人情報には、随分と悩まれ
ています。皆さんは、どうですか?

第四十六章 視点

 医者から診た女性と女性自身が考える女性は、全く異なるものだと思う。医者は、医学の
観点から女性の体を診る。だから、子宮や卵巣は、子供を産むため、成熟期の体を作るための
ホルモンを分泌するものと考える。そして、その臓器に起こった病気についても、あくまでも女性
性器として、女性の人生全体のある時期に関しの病気として考える傾向にある。

 子供は、20代のうちに産んでおきましょう。高学歴、少子化、キャリアウーマンと自分の生活
を楽しむのはいいけれど、30歳を過ぎて、あるいは30歳後半になってから結婚をする。そして、
その後に、二・三年は仕事や夫婦二人だけの生活を楽しみたいと考えて、もう40歳前後になっ
てから、一人だけでも子供を産みたいと考える。ところが、子供はそんなに簡単に出来はしない。
今の女性は、自分が欲しい時に、すぐに子供は出来ると考えている人たちが多い。そう発言をす
る産婦人科医は、少なくない。自分の人生にとって、子供が必要だと考える女性は、きちんと妊娠
が出来る年齢に子供を産めということのようだ。

 これを女性の側から考えてみると、20歳の前半に結婚と出産をするとなると、その時期には
恋愛お結婚、ましてや出産、子育てなど遠い世界の出来事と考える人は少なくないと思う。
確かに40歳過ぎてからの出産は、大変だろうとは思う。しかし、好きな相手もいないのに、子供
が欲しいからといって、35歳までに、とりあえず、まぁまぁ好きな相手の子供を産んでおこうなど
と考える人は、そうざらにはいまい。結果的に、分ってはいても、高年齢出産になってしまうという
のが、真実ではないだろうか。医者は、若いうちにさっさと子供を産んでおかないから、あとで子供
が欲しい時に出来ないと嘆いたり、不妊治療でお金をかけたり精神的に悩んだりするはめになる
から、そうならないように気をつけろと言う。しかし、言うのは、簡単だが、行うは難しい。

 第一、子供が是非欲しいと思うならば、若い時期に、子供は産んでおけ。と、そう言った医者
自体が、そうは出来ないのではないだろうか。男性の医者は、自分は男だから、35歳とか40歳
とかあるいは閉経後の50歳とかといった年齢制限については、厳しさを持ち合わせてはいない。
はっきり言えば、他人事に過ぎない。また、女性の医者にしても、自分はまたまた高年齢の出産
で、子供を40歳前後にもうけ、無事丈夫な子供に恵まれたが、医学的な見地から言って、高年齢
の出産はお勧めはできない。母親にとっても子供にとってもメリットよりもデメリットの方がずっと
大きいと言っている。自分はやむ得ないが一般の女性は、若い時に子供を産んでおけということ
だろう。

 出産に限らず、病気についても同じことが言える。視点の違いは、医者が患者の人生の中での
今を考えることがなく、臓器中心に考えていることから生じていると感じる。内膜症、腺筋症、筋腫
と診断されて、治療方針を立てる時、医者は、患者が妊娠を希望しているかどうかに最大の関心が
払われる。しかし、患者の側にとっては、必ずしもそうではない。40歳までは、子宮を温存する治療
を勧め、40歳を過ぎると子宮や卵巣の全摘を勧めることが多い。子宮や卵巣は、特に子宮は子供
を産む・産む可能性が高い人に対しては、その目的達成のための治療をするが、そうではない人に
は、取っても別段命には関わりがない臓器だからと全摘イコール完治だと考えているようだ。

 子宮内膜焼杓術で、子宮の内膜の増殖をしないようにしても、子宮の入り口のある部分だけを
焼かずに、毎月、生理の周期に合わせて少量を出血させる場合があるという。これは、子宮を全摘
していないのに、生理がなくなるとまるで全摘をしたかのような錯覚に陥って精神的に落ち着かない
人がいるからだという。このように子供は諦める、あるいはいらないという人でも、過多月経で悩み、
生理を起きないようにはしたが、子宮という臓器の存在を感じたいと思うものなのだ。大多数の医者
の視点からすれば、そんなことは下らないと思うかも知れない。今までの煩わしい生理なんかから
解放をされて良かったはずなのに、そんな少しの出血がないと嫌だなんてと理解が出来ないことだ
ろう。しかし、子宮は、子供が産める時期だけではなく、それ以前、それ以後、女性の一生の間、体
の中に存在する臓器の一つなのだ。

 病気は、医者にとっては、ありふれた病気の一つに過ぎない。また、子宮の全摘手術などの手術を
するのも日常茶飯事の出来事だろう。医者は、新しい患者が腺筋症だと診断されても、そのこと自体
に何の新鮮さも感じてはいないだろう。そして、その患者がホルモン剤に苦しみ、この先の治療方針
に戸惑い、最終的には、痛みや出血などの不快な症状に閉口させられて全摘を決断する苦悩についても、知らないし知ろうとも思わないことだろう。目の前に次から次へと現れる似たような患者、すなわち、筋腫だ内膜症だ腺筋症だと診断されて治療を受けることになった人たちを診察するだけで一日が
終わっているのだろう。

 患者の気持ちなどにさほど配慮はしなくても治療はできるし、手術もできる。いや、むしろ、努めて
患者の言葉に耳を傾けていないのかも知れない。そう思う医者も沢山いる。女性の視点になって、
女性の立場で子宮を卵巣を考えてみると患者の苦悩が見えてくるのではないだろうか。患者の身に
はなれないまでも、もし自分が女性だったら、子宮の病気だったら、初めて知らない病気と診断されて
しまったのならと考えつつ、診療をすれば、きっともっと日本全国に良い医者が増えてくることだろう。

 医者の書いた本を読みながら、医者は単に体だけ診ているだけではいけない。心の体へ及ぼす
影響の深さをもっと知った上で診察をして欲しいなと思う。そして、医者は治せない病気について
もっと謙虚になって欲しいと思う。そして、知らないことは、知ったかぶりをせずに知らないと言って
欲しい。医学は、医者のためにあるのではなく、病気に悩む患者のためにあるのだから、患者にこそ
視点が定められた医療を望んでいる。

第四十七章 不安

 腺筋症と診断されて、まず知りたいことは、この病気が治るかということだ。そして、それが治らない
と知って後は、治らないまでも症状を抑える有効な方法があるのかということだ。腺筋症は、完治しない。勿論、子宮を全摘してしまえば、痛みも出血も貧血に悩むこともない。しかし、子宮を温存する
場合は、治療は一時的なものに過ぎない。しかも、副作用もある。患者が一番苦しいのは、この痛み
と出血や貧血が、今後どのように悪化していくのかということだと思う。

 人間、先の見通しがつけば、安心をするものだ。しかし、腺筋症に限らず、病気は全てにおいて
そうだが、個々人によって、その病状には、ぱらつきがあり、一定しない。ゆっくりと進む人もいれば
早く進む人もいる。痛み一つ取っても、ちょっとした痛みにすぐ音を上げてしまう人もいれば、かなりの
痛みに長い間我慢し続けるという人もいる。病気の状態が同じであっても、治療の選択は、人それ
ぞれだ。

 人間は、マニュアルがあれば、それに従っていけば良いので、精神的にはとても楽だ。しかし、これ
についてはこうだという法則が何もない場合は、かなり不安になるものだ。恐怖は、恐れる具体的な
対象物がある。だから、その対象物が除かれれば恐怖も収まる。だが、不安というものは、恐怖と異なり、具体的なものではない。漠然とした不安を感じると言ったように使われる。この不安という感情は
体へ相当重い負担をかける。大地震や大災害に見舞われた時に、それまでは健康な生活を送って
いた人たちが、様々な起こる事柄について不安を感じて体調を崩してしまうことが多い。不安は、病気
にとっての一番の敵かも知れない。

 不安は、そのまま何もしないで置くと不安が不安を生み、ますます精神的によろしくないことになる。
だから、不安は放置せず、何が不安を引き起こす原因になっているのかを考えて自分なりの対処
の仕方を覚えるとよい。あまり厳格に物事を考えないようにすることも大切だと思う。不安な時は、自分
自身で、世間を狭くしているものだ。広い視野から自分の置かれた現状を率直に見てみると心配で
はあるが、それほど不安に思うこともないということも多いものだ。

 腺筋症の勉強をしてみて感じたのは、腺筋症という病気について知ることは、とても大切だ。しかし、
それよりももっと大切なことは、その知識を基にして、これからの自分の生き方を大切にしていく力を
身に付けることだと思った。不安に悩むことよりも、これから少し先のことを考えてみたいと思う。今後
腺筋症が進んでいって、これ以上、痛みが強くなったり、過多月経がひどくなったりするのではないかという不安は、いつも私の頭の中にはあるが、そうなった時はその時に考えようと思っている。人間、
いい加減が程よい?

第四十八章 免疫

 先日、内膜症のサイトの掲示板で、ナサニールをしているが、歯が折れてしまった、という書き込み
を見た。歯が折れて歯医者に行くと他にも何本かの歯が虫歯になっていて治療しなければいけない
という。この書き込みを見て、私もと思い当たるこどあった。スプレキュアをしている時に、虫歯ができて
歯医者に通った。スプレキュアをし始めて、少しすると発汗にのぼせ、湿疹のほかに、歯が浮くような
感じが起こった。その時は、スプレキュアのせいというよりは、かなり進行した貧血のせいかなと思って
いた。どうやら女性ホルモンの分泌低下を導くホルモン剤の類は、免疫力を低下させる作用があるよ
うだ。ホルモン剤を使っている間は、風邪を引きやすくなったり、風邪が長引く傾向にあるようだ。

 内膜症や腺筋症は、免疫異常から来るのではないかとされている。私自身は、小児喘息も食物アレルギーによる蕁麻疹などアレルギー体質だ。だから、免疫異常は起こりやすい体質だといえる。筋腫
も免疫の異常かも知れないと言われいる。同じような免疫異常がありながら、その人個人の持つ弱いところへ症状が出てくるのだろう。

 免疫の大切さは、後天的に免疫力を失うエイズの例を見るのでもなく誰もが知っている。私の場合は初経以来、ずっと腺筋症持ちだったのだと思うが、免疫力のなさを自覚し始めたのは、20代の後半だった。年齢的なものもあるとは思うが、その原因は少しずつ進行してきた貧血にあったと思う。そして、
間もなく40歳という頃には、病気とそれに伴う貧血のせいなのか食べ物や薬などに過剰な反応が見られるようになっていた。食物アレルギーや薬品アレルギーの度合いが増して、すぐに皮膚が赤くはれ上がったりしていた。それが、貧血の治療とスプレキュアによる痛みと出血からの解放のおかげもあった
せいもあり、アレルギーが治まってきた。

 しかし、ホルモン剤をしている間は、体もだるく、歯の具合も悪く、免疫力も低下していたようだ。
気持ちも暗くなりがちだった。うつ状態は、免疫力も低下させ、記憶力も低下させる。免疫と聞くと
何やら体に良さそうな印象を受けるが、そうばかりではない。アレルギーは、正に免疫が自己の組織
を攻撃するために起こる。免疫異常によって引き起こされる病気の種類は多い。しかも、難病である
ものが多い。免疫の仕組みについての研究は始まったばかりだ。

 免疫というメカニズムと細胞のふるまいが解明されれば、がんを始めとする病気の数々が克服され
ていくことだろう。カドヘリンというたんぱく質は、色々な細胞につき、細胞の塊を作る。このカドヘリン
には、種類があり、その種類同士の受け手でないものとは、くっ付かない性質を持っている。目の細胞
には、目の細胞用のカドヘリンがあり、細胞同士を接着させる。この論理から言うと子宮内膜には子宮
内膜用の接着用のカドヘリンがあるということになる。そして、そのカドヘリンが変質するか失われる
とその部分から細胞が溶け始めてバラバラとなって移動していくことになる。

 筋腫の場合と異なり、子宮内膜症や腺筋症患者の子宮内膜には、既に組織の変化が見られると
いう。正しいカドヘリン以外にも内膜症や腺筋症の病巣が好んで集まるカドヘリンが作り出されてい
るのかも知れない。カドヘリンの減少は、がんの転移の仕組みにも関与している疑いが強いそうだ。
このカドヘリンは、日本人の研究者が発見した物質だ。腺筋症を作る酵素も発見されないかしらん。
その酵素を見つけて子宮の血流に乗せていけば、腺筋症の病巣が融けて消えていけば、素晴らしい
ことですよね。科学のコラムを読む度に、すぐに腺筋症の治療と結びつけてしまいます。腺筋症に対する免疫を付けて腺筋症を治癒させたいなぁ。

第四十九章 たかが

 医者は、医療のトップであると思っている人たちが多いのではないだろうか。私が以前に読んだ
本の1冊は、心臓外科医が書いたものだった。その本の中で、彼は、医療について、本当は全て
医者の手で行われるのが理想であるが、何しろ医者の数が少ないので大部分のところは看護師
などに頼らざる得ないと書いてあった。つまり、医者が手を抜ける、抜かざる仕事は、医者の代わり
に看護師や薬剤師や臨床検査技師が補っている、という考えのようだ。

 このような立場からすると、看護師は、所詮、看護師に過ぎないということになる。医療のトップ
は、医者であり、医者の手が回らないところを補うのが他の医療従事者だということになる。だか
ら、医療においては、医者がトップに位置し、ピラミッド構成を築いているということになる。言い換
えると腕の悪い低レベルの医者よりも、腕の良い看護師は、下に位置しているということになる。
腕の悪い医者でも医者であり、有能な看護師であっても、結局のところ、たかが看護師に過ぎない
ということだろう。

 著者である若き心臓外科医は、アメリカの最前線で心臓手術を学び、その腕を磨いて、日本へ
戻ってきたそうだ。彼の理論で医療を考えると、医療体制の中での患者の立場は、どうなるのだろ
うか?患者の立場については、何も触れられてはいなかった。きっと彼の頭の中には、医療は、
医者や看護師などの医療を施す側のことしかないのだろう。たかが看護師は、まだ頭の中にはあ
っても、医療の一番底辺に位置する患者たちの存在はないのだろう。

 医療を語る場には、医者や看護師などの医療に関しての専門職だらけで、患者については、その
病気の経過に沿って議論に上がることはあっても、患者自身が発言したりする場は、そう多くはない。
そのせいもあり、患者の切実な表面には出て来にくい言葉が取り上げられることは少ない。病気に
ついては、色々と検討をされ続けていても、患者本人に対する関心は薄くなりがちだ。いちいち患者
の個々人に耳を傾けて医療を施す余裕などはない、と医療関係者からの声が聞こえて来そうだ。

 病院へ行って診察を受けて思うのは、何故、自分の病気についての情報が得られないのか。仲間
と知り合うことが出来ないのか。医療機関にこそ、当然あってしかるべきことだと思う。時間がないか
ら、病気についての詳しい説明が出来ないというのは、理解できる。でも、医者などの医療側にとって
も、患者が、これから自分が受けようとする病気やその治療に関して情報を伝えることは大切なこと
だ。また、必要なことでもある。それについて、医療のピラミッドの頂点にいる人たちは、あまりにも
無関心だ。書店へ行って書物を買わないでも、情報を得られるようなシステムが欲しい。無料では
困難というならば、有料化すればよいといい。昔と異なり、今はコンピューターが普及しているので、
病気や薬や治療方法に関して、一度、入力してしまえば、あとは情報の修正や追加は、そう難しい
ものではないだろう。医療機関に属する人たちが、それぞれ手分けをして情報を入力すれば、そう
時間や手間もかからないばすだ。

 腺筋症や内膜症や筋腫などのありふれた病気だと診断される患者は、どこの病院にも沢山いる
はずだ。でも、待合室では、誰が自分と同じ腺筋症患者なのかは分らない。患者様のための病院
や医療であるならば、こちらがわざわざ自助グループを作って、インターネットや新聞などのマスコミ
を使っての会員を募る前に、医療の側が、そういう仕組をとっくに作り上げているように思う。薬の
保険点数が高くて利潤が上がると患者一人当たりの薬が多くなり、保険点数が下がると同時に
処方される薬の数が減ったりする。検査についても同様だ。つまり、患者の側からの医療ではなく、
あくまでも医者などの医療関係者から唱えられた患者のための医療でしかないのが現状だ。

 たかが患者の分際で、医者の私に何を言うか。そんな態度に患者は傷つく。しかし、命を人質に
取られてる(と考えている)患者の立場では、そのことを口にして医者に意見を言ったりはしない
ことが多い。医者は、健康であり、患者の病気を治すことを生業としている。医者は、スーパーの
レジ係りと一緒で、この世の中に沢山存在をする職業の一つに過ぎない。しかし、その職業の性格
から、普通に仕事をしていれば感謝されるのが当たり前だ。勿論、普通以上にきちんと熱心に仕事
をこなせば、感謝と共に尊敬もされる。問題なのは、普通以下の医者であっても、ただ単に医者で
あるという、それだけで感謝(少なくとも表面上は)される職業だということだ。だから、ダメな医者で
も、患者に関しては、嫌な思いをしないで済む。感謝されることに慣れすぎて反省も勉強もしない。

 日頃のストレスを患者を傷つけるような言葉を浴びせることによって解消をしているのかと思うよう
な医者や看護師も少なくない。患者の側が、医者などの医療機関へ皆が対等な立場に立って意見
をすることが出来るようになれば、どんなに医学の現場は、風通しが良くなることだろう。そのために
も、医療機関から、たかが、という言葉を払拭してもらいたいと思う。

第五十章 スキルス

 スキルスとは、がんの中でも悪性であるとされている硬性がんのことである。胃がんのスキルスが
んは、どういうわけか若い女性に多い。そのスキルスがんは、通常の場合と同様に、病巣は粘膜下
から発生はするが、すぐに筋層内に潜り込み、筋層内を広がっていく。そのため、病巣の拡散と共に
繊維性の結合組織が増えて、そのために、筋層が硬くなっていく。このようなスキルスの場合、内視
鏡では、殆ど変化が見られない。変化が見られた場合は、既に病気は進行してしまっている。レント
ゲンを撮るとその内臓の筋肉層が厚くなっているのが分る。診断がついた時には、既に手遅れという
場合が多い。

 このスキルスの硬さは、腺筋症の場合の子宮の筋層の硬さと似ているなと思う。がん細胞そのも
のは、硬くはないが、そのガン細胞の周りの筋肉が繊維性となり、硬くなる。当然、筋肉の収縮や
拡張の滑らかな動きは阻害される。腺筋症は、良性ではあるが、がんに似ている性質を持っている
と思う。がんの転移が、がん病巣の塊が小さなものが沢山あるほど繊維性結合組織は増えるそうだ。
腺筋症は、筋腫と比較すると数も多い。数が容易に数えることが出来る筋腫は、腺筋症よりもその
性格がおとなしいのは当然かも知れない。

 がんが転移する時、やみくもに転移はしない。転移をするにしてもしやすい臓器としにくい臓器が
あるという。内膜症と腺筋症は、その昔は、外性内膜症と内性内膜症というように、単なる場所的な
違いがあるだけで、基本的な病態には差はないと考えられていたのだろう。しかし、今は、それぞれ
が別な病態と考えるようなり、内膜症と腺筋症と呼び区別することになったようだ。だが、実際には、
やはり内膜症と腺筋症は、確かに違いはあるが、共通するところが多い。区別したことにより、名前
が知られた内膜症と異なり、腺筋症の知名度が低下しているように思う。

 ありふれた病気でありながら、腺筋症は、原則として、痛みや出血などに耐えられるうちは経過観
察をし、そうでない場合は、全摘をする。そして、全摘はがんと異なり、直接命に関わる場合は、殆ど
ない。しかし、皆無ではない。内膜症に比べると腹腔鏡をする機会もない。学問的な面白味も経済的
な潤いもあまりない。腺筋症は、医者にとっては、関心が向きにくい病気なのだろう。子供を産まない
のなら、40歳を過ぎて、症状がひどければ全摘すれば済む病気だという認識なのでないだろうか。
患者の苦しみや痛みには、そんなに注意は払われてはいないように思う。

 人の感じている痛みは、感じることができない。だから、医者に腺筋症の痛みが分らないと言って
だから医者はダメなんだとは思わない。ただ、全摘をしてしまえば痛みは殆ど解消される。だから、
全摘という根治療法を考えずに、対症療法として鎮痛剤などを使った痛みの管理には熱心ではない
し、痛みの管理も必要ではないとする考えはおかしいと思う。腺筋症があっても、痛みの管理がうまく
できれば、全摘をしなくてもよい人たちも増えるはずだ。

 がんの痛みのコントロールも、ままならない状態では、腺筋症の痛みのコントロールは難しいだ
ろう。しかし、医者は、症状の中にある生理痛、生理以外の痛みという言葉の記述に関心を持って
欲しい。痛いと患者が医者に訴えた時に、それを簡単にほかの症状と同様に文字の一つとして
捉えては欲しくない。もっと痛みという患者が発する言葉の重みを受け止めて欲しい。その言葉の
重みを知る医者は、患者に暴言を吐くことはないだろう。

 人の痛みを知ることは、医療の基本ではないだろうか。しかし、同時に難しいことだなぁと思う。
腺筋症という名前が、筋腫と同じくらいに知名度が上がると、きっと仲間も増えて、HPも増える
ことだろう。やはり、当面の課題は、いかにして知名度を上げるかだなぁ。

第五十一章 開かれた脳

 10代、20代と今から思うと悔しいほどに、無駄な頭の使い方をしていたなぁとつくづく思う。宇宙は
とてつもなく広くどこまでも続いているのに、何と自分の考えていることが小さかったかと思う。狭い
地球の中の日本というちっぽけな島国のその一つの北海道のそのまた一地方といった具合に、小さ
く小さく物事を捉えていた。小さなことをとても気にして、とても神経質だった。時間を守ることに神経
質になり、小さな失敗をいつまでも忘れられなかった。傷つくことが怖くて人間と付き合うことも疲れた。
これは、全て閉じられた脳の世界で生きていることから生じていたのだと今は思う。

 人間は、物事を広い視野で見て、自分なりの考えを持つことが大切だと思う。そのためには、物事
を多方面から見てみることが必要だ。うつ状態は、脳の働きを低下させることが分っている。最初の
うちは、それは一時的な脳の機能低下に過ぎないが、それがずっと続けば、脳の萎縮にも繋がる
そうだ。うつ状態の場合は、同じ考えがぐるぐると回り、戻ってくる時には、以前よりも悪くなっている
ことが多い。脳は、どんな天才でも、全体の20%も使ってはいないそうだ。普通の人は、5%とか
10%程度だという。そんな部分的な脳を狭い範囲でしか使わないというのは、とっても勿体ないなと
思う。

 気が付けば、私もまもなく47歳だ。平均寿命を86歳として考えれば、人生の半分以上の時間を
既に過ごしてきた。頭の中では、どうしようもないことだと思いながらも、過去の記憶に苦しめられ
て、長い間、閉じられていた脳の中で生活をしていた時間があった。毎日がとても重苦しく、理屈
では、忘れることが必要であり、それ一番良いことだと分かっていた。しかし、何かが起きると物事
の全ての原因が、過去の記憶に結びつき、前に進めなかった。

 その思いを吹っ切れたのは、母の死だった。母の死は、私の閉じ込められた記憶だらけの脳を
変えてくれた。世界が変わらなくても自分の頭の中が変われば、自然と自分の中にある世界観も
変わっていくものだ。人は、どんなに永く生きても100年くらいのものだ。広い宇宙にいる自分の
世界を開かれた脳で見てみませんか。

 うつ状態が続くと脳の機能が低下すると共に、痛みも強く感じるという。良いことは無いようです。
腺筋症や内膜症など病気を持つ人には、うつ状態になってしまう人も多い。何もかも自分に自信
が持てなくなったり生きているのが辛くなったりしたりする。そんな時は、開かれた脳で、客観的に
自分を見てみるとよいと思う。そうすれば、自分が出来ることやしなければいけないことがまだ沢山
あることに気付くはずだ。

 何かとつらいことの多い腺筋症ですが、脳を開かれた状態にして、素直な気持ちで生きていき
ましょう。

第五十二章 激痛ダイエット

 女性も40代も後半に入ってくると若い頃に比べて、ふっくらとしてくる人が増えてくる。ふっくら
どころか若い頃には想像もつかないような肥満に悩まされている人もいる。出産後に太り始める
という人は多いが、更年期に入ってから、子供を産んでいくなくても急に太り出す人も結構いる
ようだ。更年期に太り出すのは、更年期(ここでは、大体40歳とする。)に入ってくると、急激に
女性ホルモンが分泌が減少して、それに伴って食欲が増すことになるそうだ。

 運動をしたり、食事制限をしてみたりと大変な思いをして痩せようと努力をするようだ。しかし、
一度太ってしまうと若い頃と違い、減量には相当な努力が必要となるようだ。今までと同じように
食べているだけなのに、自然と太ってくるらしい。基礎代謝量が落ちてきているせいだろう。

 内膜症や腺筋症の人では、人為的に治療ということで、女性ホルモンを急激に減らした体験を
持つ人が多いことだろう。私も、39歳から40歳にかけての半年間、スプレキュアを使った。一時
的な女性ホルモン分泌増加、つまりフレアアップによる病巣に対する刺激により、子宮のあちこち
が、びりびりと痛み出した。そして、その後の不正出血が多少あったものの、順調に女性ホルモン
は低下し続けて、生理が止まり、激しく耐えがたい痛みと過度の出血はなくなった。

 生理が止まった時は、正直ほっとしたものだ。一旦、生理が始まれば、容赦なく過多月経が続
いた。どこから、こんなに沢山の量の血が出てくるのか不思議でならないくらいに出血をしていた。
毎日ずっと続く痛みにも、すっかり疲れていた。長年使っていた市販の鎮痛剤を飲んでも、効かな
いようになっていた。効いた時でも、せいぜい一時間か二時間くらいのものだった。過多月経に
よるひどい貧血状態で、ふらふらしている上に、連日続く痛みがあった。この頃は、正に激痛ダイエ
ット中と言ったところだった。世の中に、様々なダイエットはあるが、内膜症や腺筋症による激痛
ダイエットは、実行をする人間が能動的ではなく、受動的なところが、ちょっと違う。(笑)自分が
止めようとしても、なかなか止められないという、一度実行すると中止が難しい過激なダイエットだ。

 激痛ダイエットをする?ようになってからは、あまり物が食べられなくなり、どんどん太るという
ことはなくなった。この激痛ダイエットと決別をするには、子宮全摘術を受けるしか今のところは
手がないようだ。そして、全摘をしてしまうと激痛に悩まされることもなくなるだろう。また、いつで
もどこでも鎮痛剤を置いておく必要もなくなることだろう。でも、きっと更年期太りで、どんどん体
のサイズが大きくなることだろう。だって、たまに痛みがない時って、本当に食事がおいしくて、
いくらでも食べられそうなのだから。

 子宮の全摘を受けた皆さん、これから受けようとする皆さんは、痛みのない生活を手に入れた
後は、普通のダイエットをして下さいね。痛みとか生理って、結構なカロリーを消費しているもの
です。くれぐれも、食べ過ぎにはご注意下さい。

第五十三章 腺筋症専門病院

 全国的に、少子化と仕事の大変さと薄利のため、小児科医と産婦人科医が減少しているようだ。
医は仁術というよりも算術であり、義務感よりも気楽さを望んでいるということだろう。しかし、子供
は減っても、女性は減らない。従って、婦人科医は、必要だと思う。勿論、小児科も産科も必要だ。
子供の数や出産の数が減ったからと言って、地元の病院に産科や小児科がないなんてことは、
とんでもないことだ。

 産婦人科では、子宮の全摘術は、産婦人科医が手がける手術の中でも、多いものだと思う。
そして、子宮がんや卵巣がんと共に、良性疾患である筋腫や腺筋症が元で、子宮全摘となる
場合も多いことだろう。だから、筋腫専門病院が日本の各地域にあって、当然だと思う。がん
センターが全国各地に拠点があるように、専門病院があっても不思議ではないはずだ。

 各地に作るのは無理としても、せめて日本に一つや二つの腺筋症専門病院があってもいい
のではないだろうか。腺筋症だと診断されたり、腺筋症ではないかという疑いを抱いた患者が
集う病院が出来たとしたら、どんなに素晴らしいことだろう。待合室での会話も弾み、自然と
交流の輪も広がることだろう。腺筋症に関するグッズや情報も簡単に手に入るようになること
だろう。

 私の住む地域では、腺筋症の専門病院どころか、産婦人科のうち、既に婦人科のみとなって
いる。子供を産むには、他の市へバスや自動車を利用していかなければならない。そんな状態
ではあるが、今後の日本の医療体制を考えると、腺筋症専門病院のような患者本位の病院を
作っていかないといけないと思う。専門病院が出来ることにより、医者の技術も進歩し、治療方
法も標準化されて、金銭面においても有利となるに違いない。腺筋症専門医師と腺筋症専門
看護師、腺筋症カウンセラーがいてくれたのなら、どんなに心強いことだろう。

 子宮動脈塞栓術(UAE)を専門にする病院が出て来ている。その次には、筋腫や内膜症や
腺筋症などの一つの病気に焦点を当てて、治療に取り組む病院の出現が望まれる。医者の側
には、そうした動きが見られないのが残念だ。腺筋症は、命に関わらず、子宮を取り去ってしま
えば、それでおしまいの単純な病気だと思っているのかも知れない。痛いのなら、全摘をという
のが医者の考えらしい。患者にとっては、その逆で、痛くないのなら、全摘はしたくない、のが、
基本だが。子宮を取らずに痛みを取り去ることに、もっと焦点を当てて治療してもらいたい。

第五十四章 患者図書室

 読売新聞に、最近の病院では、患者が自分の病気が分るようにと病院に患者図書室を設け
ているところが増えているという記事が載っていた。とても良いことだと思う。ビデオやDVDに
よる病気に関する情報提示もあるそうだ。医学書や医学雑誌は、高い。また手頃な値段の実用
書と呼ばれる一般向けの本であっても、書店で探す時は、なかなか適当なものが見つからない
ことも多い。だから、こういった病院で利用ができる患者図書室という存在は貴重だと思う。

 人口の多い病院では、段段と患者図書室を設置すところが増えていくことだろう。田舎でも、
あと10年もすれば、普通の病院ならば、どこでも患者図書室があるのは当たり前という状態
になったらいいなと思う。特に、腺筋症のように、ごくありふれた病気でありながら、情報を
集めにくい病気についての図書が充実していてくれたら、とても頼もしいことだろう。

 こうした患者の立場を考えての施設やサービスが、どんどん利用されていけば、日本の患者
のレベルも上がっていくことだろう。腺筋症図書室なんか出来たら、本当に素晴らしいなと思う。

 誰か患者図書室を利用したことがあるという方は、いらっしゃいますか?

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