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 においで病気が分るらしいワン 

 猫に比べて犬は人の役に立つ。盲導犬に聴音犬、介護犬、災害救助犬など人の
助けになる。これに比べると猫は殆ど役には立たない。犬は人に従うが猫は人を
従わせる。

 残念ながら今回の話の主人公もまた犬だ。犬の聴覚と共に嗅覚も素晴らしい。
殺人事件が起こると警察犬が登場し、犯人や被害者の臭いをかぎ分けて犯人逮捕
へと結びつけることができる。この犬の嗅覚は、どうやら人間の病気をも察知する
能力があるようだ。

 訓練した犬は、病気の臭いをかぎ分けることができるという。テレビでやっていた
のは、がんの患者の吐く息をかぎ分けていた。胃がんでも乳がんでも健康な人とは
別の臭いがするらしい。がんの臭いって、どんな臭いなんだろうか。犬の鼻には、「こ
いつは、がんの臭いがしているなぁ。」と感じるものなのだろう。以前に、虚血性心
疾患、つまり心筋梗塞や狭心症の発作に苦しむ男性の愛犬が、彼が心臓発作を起こす
前に特別な動きをして、それを知らせている話しが放送されていた。

 その男性の愛犬も、もしかすると嗅覚を使って心臓病を知り、発作が起こりそうな
体調を察知していたのかも知れない。というわけで、ここで気になるのが腺筋症や
内膜症、筋腫の類も、それなりの病気の臭いを出すのかだ。そして、病気と共にその
進行具合によって、出す臭いが違ってくるのではないかということだ。だとしたら、
一家に一匹、わんこを常備しましょう!ということになるかも知れない。猫と違い
犬は役に立つようだ。

 ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の著者によれば、血液一滴からは一万種類
もの成分が分析されるそうだ。この中には、きっと腺筋症の状態を知らせる成分が
含まれていると思う。

 犬じゃなくて猫が腺筋症や内膜症を検知できればいいのになぁ〜と思うのは、猫
好きな女のひがみでしょうか。(笑)

 生き急ぐのは体に悪いようです 

 生き急ぐのは体に悪いようだ。がん家系の私は、よくがん闘病記を読む。やはり死ぬ時
の原因となる確率は、がんが多いと思うからだ。母の膵臓ガン、父の大腸がん、祖父の
胃がん、伯母の子宮がんと乳がんの闘病を見ているせいもある。がん闘病記を読みながら
両親のがんの診断、告知、手術、退院後、死、闘病期間のいろいろなこと、看病体験など
が重なって沢山の思い出が蘇ってくる。

 最近読んだ、がん闘病記は、同じ北海道に住む女性が書いたものだ。北海道電力に
勤める36歳の男性が大腸がんが破裂して緊急手術を受け、その46日後に幼い息子
二人を残して死んでいくまでの過程を描いたものだ。私は、知らないけれどケツメイシ
という歌手の唄の詩と曲に物凄く元気を貰い、思い出にもなっているという。生前の
幸せな家族の写真と共にケツメイシの唄の詩が添えられている。

 急性腹膜炎で緊急手術を受けて人工肛門になり、そればかりか余命は三ヶ月かと
宣告されてしまう。それまで元気で、手術も不可能なくらいの末期のがんに罹って
いるとは思いも知らなかったのに、いきなり死の宣告を受けることなった。その後は
亡くなる日まて゛、明るく前向きに医者や周りの人たちに気を遣って死んでいった。
まだ36歳、誰にも愛される明るく元気なスポーツマンだった。

 もう一つは、今もがんと闘っている、というよりも共生しているといった表現の方
が合っているかも知れない、IT社長の35歳の男性だ。この男性は、胃がんでスキルス
がんだ。半年ほど前から、お腹が空いた時に鈍い痛みを感じるようになった。そして
仕事が一段落した時に、勤務先の指定病院で検査を受けた。その結果は、胃潰瘍。
しかし、この際に、きちんと調べようと内視鏡検査を受けたところ、胃がんが発見さ
れた。手術を受けたものの二年後に再発してしまう。それも大腸の全体に渡る再発
で、手術もできない状態だった。こちらは余命三ヶ月。しかし、今も彼は頑張っている。

 余命三ヶ月が分ってから、一時的には落ち込みがあったものの、自分の死を価値の
あるものにするための計画を立て、実行をし始める。彼は、自らの半生を振り返って
何かに急かされるように生き急いできた、という。まるで自分の人生が短いことを
知っていたかのように・・。

 もう一冊は、三浦捷一さんという医者で、全国がん患者大会を主催するために
精力的に活動された方の闘病記だ。この方は、肝臓がんだった。この方も、著書の
中で、生き急いでいた、と書かれている。

 共通しているのは、闘病記の中の3人全員がとっても働き者だということだ。そして
がんで倒れるまでは、自分の体の存在を気にすることがないほど健康だったという
ことだ。健康だと体が疲れていることに気付くのが遅れてしまうのかも知れない。

 健康は大切だけれど、健康な時は健康の大切さに気が付かない。そして、その大切さ
を知った時は、人は何が人生にとって大切なものなのかが見えてくるのだと思う。

 がん闘病記を読むとがんにはなりたくないなぁと思う。では、心筋梗塞や脳梗塞は
どうかと言えば、こらもなりたくはないなぁ。何でも病気はつらいものだ。どうして
病気ってあるのでしょうねぇ。皆、事故に遭わなければ100歳まで元気に生きて
100歳の誕生日の翌日にポクっと逝く。そして、20歳過ぎても、20歳の体のまま
でいられたら最高なのになぁ。未来では、そんな風にはなっていないかしらん。皆、
100歳まで若い体のまま生きれるようになれば、2000歳までも生きようと研究
が進みそうだなぁ。何かそれも困る。地球が人で溢れてしまうなぁ。

 それにしても恐竜時代から存在するがん克服はいつになることやら。

 きゅうりは真っ直ぐな方がおかしい 

 きゅうりは、いつからまっすぐに、そして表面がつるつるになったのだろうか。
まっすぐのきゅうりは、曲がったきゅうりの何と三倍の値段がする。それでも
曲がったきゅうりよりもまっすぐになったきゅうりが売れるのだろうか。表面が
つるつるしているのは、いぼいぼの棘があるきゅうりは消費者が嫌うからと改良
されたそうだ。

 きゅうりは、放っておけば、曲がってくるのが当たり前だ。それを割り箸と
ゴムを使って無理やりまっすぐにさせる。その手間暇を考えると値段が上がる
のは同然だろう。それにしても味は同じなのに値段が三倍も違うとはね。
納得がいかない。昔のトマトやきゅうりは、野菜臭かった。きゅうりはいぼいぼが
あって手が触れるとちくっと痛かった。第一、野菜には季節があった。夏の
季節にはトマトやきゅうりがあり、夏に限られていた。決してトマトは果物と間違う
ような甘さはなかった。あくまでも野菜の持つ甘さだった。

 それが今ではトマトはぶとうのように果物のような甘さとなった。ビニール
ハウスができて、野菜には季節感がなくなった。果物も今のりんごは見かけが
いい割には味が好きになれない。昔は、木の箱にたくさん入っていた。値段も
安かった。今は真っ赤なりんごを作るために満遍なく太陽の日を浴びさせるため
にアルミホイルを使ったり、りんごを回したりする。その分、値段が上がる。真っ赤
なりんごがおいしいのならともかく、昔のりんごの方が味が良かったように思う。

 昔の方が良かったことが目につくようになった。きっと年を取ったということ
なのだろうなぁ。ただ、見かけだけが良くて味が良くなかったり、ただ甘いだけ
でピリっとしたところがない野菜や果物たちを見ていると人間も同じようなところ
があるなぁと思う。見かけや第一印象だけで、その人のことをこうだと決め付けて
しまう。見かけや口先だけが立派で誠実さがない人、中身がからっぽの人を素晴ら
しいと思い込んでしまう。そして本当に人間として素晴らし人をないがしろにして
いるのではないだろうか。

 でも、野菜や果物は見かけが良くなければ売れない。きゅうりは曲がっていても
味が変わらなければ安い方のきゅうりを買う私です。

 あじさいの色  

 6月の梅雨のころになるとあじさいが咲く。綺麗な花だ。日本で咲くあじさいの
花は、殆どが青い色をしている。が、ヨーロッパでは紫色だ。少し前のサスペンスドラマ
で、あじさいの花がキーワードとなるものがあった。

 あじさいの花の色は、土壌の質により青になったり紫になったりする。あじさいが
生えている土壌が酸性の場合は青色となり、アルカリ性の場合は紫色となる。だから
あじさいの花の色で、その土壌が酸性かアルカリ性かが分る。

 サスペンスドラマでは、あじさいがずっと青い色の花をつけていたのに、いつの間にか
その花の色が紫に変化をしていた。土壌が酸性からアルカリ性に変わったということだ。
これを知った刑事は、ここに死体が埋められているのではないかと推測をした。人が
死ぬと腐敗をし、そして白骨化をする。そのために、土壌は酸性からアルカリ性と
なったのだろうと考えた。スコップでそこを掘ると刑事の推測通りに人骨が発見され
るというストーリーだった。

 実際にそのようなことがあるかどうかは分らないが、あじさいの色は確かに土壌の
性質に左右される。まるでリトマス試験紙のようだ。そのドラマを見て以来、あじさい
が咲くとそのことを思い出す。亡くなった母は、このあじさいが好きだった。雨の降る
日が続くとあじさいはより一層に綺麗に輝いて見える。

 皆さんは、あじさいを見るとどんなことを思い出しますか。

 レオロジー 

 レオロジーとは、流体力学のことだ。流体力学は、血管にも及ぶ。血管が通常の直径
よりも局所的に太くなることは正常の血管では起こらない。動脈は中膜の弾性繊維の
弾性板で弾性を保ち血圧に耐えている。血管が膨らむのは、この中膜の構造に変化が
起こるためである。多くの大動脈瘤でも中膜の断裂や破壊が見られる。

 大動脈瘤は、動脈硬化、血管炎などで発症をする。腹部大動脈瘤は大動脈瘤の好発
部位だ。その理由として、腹部大動脈では栄養血管の分布が少ないことが挙げられる。
内腔側が肥厚して血管壁の壁応力が増加していると考えられている。また中膜構造の
先天的な弱さも考えられている。

 動脈瘤が発育し破裂するまでの過程は、物理学的な法則、ラプラスの法則が当てはまる。
すなわち、局所に加わる力は、内圧、瘤の大きさと壁の厚さにより規制され、TZ=PR/H
(T:張力、P:内圧、R:半径、H:壁の厚さ)によって求められる。

 腹部大動脈瘤は、真性動脈瘤ではもっとも多く、95%以上が腎動脈分岐以下の腹部
大動脈に生じる。全世界では、年間100万人もの新しい腹部大動脈瘤患者が見つかる
そうだ。無症状で進行をすることが多く、大きくなると臍の周りに拍動する腫瘤に触れる。
これが発見の動機となることが多い。しかし、腫瘤を触れるものは径が5センチを超えて
いて手術の必要がある。

 ラプラスの法則によると大動脈瘤の直径が3cm未満では年間の拡大速度は0.21cm
、3cm台では、0.27cm、4cm台では、0.42cm、5cm台では0.42cm、5cm台では
0.43cm、6cm以上では0.75cmのスピードで拡張するという報告もある。大動脈瘤
発見から1、3、5、10年の生存率は、瘤径が6cm未満では、それぞれ75%、68%、
48%、11%、6cm以上では、47%、12%、6%、0%と極めて夜後が悪いそうだ。
瘤の大きさが6cmを超えると急速に拡大するので手術が絶対に必要だ。

 父の腹部大動脈瘤が発見されたのは、平成13年だった。その頃は、3.5cmだった。
平成15年に心臓の環状動脈の狭窄部分をカテーテルの先につけた風船を使い広げ、
ステントという金属により、血管部分を押し広げた時には、4cmだった。その後、心臓
の調子が良かったので、腹部大動脈瘤があるのは分っていても放置していた。「小さな
うちに手術をしておいた方がいいのではないか」と言ったのだが、それほど大きくなって
いないこともあり、どうも気が進まないようだった。

 ところが平成18年の今年に入り、今までにあった椎間板ヘルニアによる腰痛に加えて
足先までに強い痛みが続くようになった。そのために、父は重い腰を上げた。このしつこい
痛みはたまらないと椎間板ヘルニアの手術をしてもらおうと骨ならばとMRI検査を受けた。
その結果、腰椎の一部の椎間板がヘルニアを起こし、それが神経を圧迫していることが
分った。しかし、同時に移っていた腹部大動脈瘤が何と6cmにも育っていた。整形外科の
医者から、「まずは腰痛対策よりは、命に関わる腹部大動脈瘤の手術を」と言われた。

 血管外科の医者からは、このまま放っておけば、1年間で15〜20%の確率で破裂する
との説明を受けた。破裂した場合は、都会では50%くらいの生存率だ。しかし、私が
住む田舎あたりだともっと生存率は低下することだろう。私の住んでいるところでは大動
脈瘤の手術はできないので、患者は札幌に運ばれるようだ。

 そんなわけで、父は椎間板ヘルニアの手術より先に腹部大動脈瘤の手術を受けること
となった。心臓バイパス手術、虫垂炎による腹膜炎、横行結腸がんの手術で満身創痍の
父の体にまた大きな傷が追加されることになりそうだ。

看護師さんて言いづらい。看護婦さんじゃ駄目なの? 

 男女機会均等法が浸透してきた。とはいっても、男女の待遇差は依然として大きい。
表面だけの平等が多い。看護婦と看護士。女性は看護婦さんで男性は看護士さん。
どうしてこれがいけないのかと思う。看護婦の婦という文字が良くない。女性だけを
意味しているので男性に対する差別だ。婦という文字の成り立ちを考えると良くない。
ほうきを持っている女性の姿から作られた。女を家庭に縛り付けるものだ。ということ
で、看護婦は良くない。医師と同じ看護師でなければ、医師との差別に繋がるとでも
言うのだろうか。

 しかし、医師も医者という言い方もある。教師など師が付くとその社会での指導的
立場にある。看護師も看護の世界では、指導者だからということだろうか。でも、弁護士
の士はさむらいだし、税理士もそうだ。その一方、ペテン師とか詐欺師の場合は、師が
ついている。

 それはともかく、病院へ行って看護師を見つけて、「ちょっとかんごしさん」と言う
よりは、「かんごふさん」の方が呼びやすい。看護師の教育についても、医師と競うか
のように四年生が増えた。そして、医学部と同じように将来は六年制にしようと考えて
いるようだ。確かに医学の進歩は目覚しくて学ばなければならないことは多い。だが、
医師と同じ六年間も学んでから実際に働く必要があるのだろうか。働きながら、必要
に応じて学べる場を作る方が実務的ではないだろうか。

 看護師さんには、もっともっと医学的な知識を身に付けて欲しい。だが、医師とは
違う看護のプロとしての患者の目線に立った医療に対する医師と患者のかけはしと
なって欲しいと思う。私自身は、一度も入院体験がないので外来でしかお世話にな
ったことがない。看護師さんも医師も本当に健康でなければ務まらない仕事だと
思う。自分が健康でなければ、病人の世話はできないなぁ。元気が一番です。

 サイレント・キラー 

 父の腹部大動脈瘤が見つかったのは、心臓の風船療法のPTCAをした時だった。
平成13年には、3センチくらいはあったようだ。腹部大動脈は、大体1.5ミリと
2センチが普通だそうだ。今年は、平成18年。つまり、5年の間に、倍の大きさに
膨らんだ。その間、自覚症状なし。心臓の冠状動脈は、1ミリから1.5ミリで、大事
な心臓を養っている血管の割には、細い。心臓の血管が詰まりかかってくると狭心症
が現れてくる場合が多い。糖尿病があったり血糖値が高めだったりすると無痛なのに
いきなり心筋梗塞を起こしている場合もある。

 命に関わることなのに痛みが起きない。そして痛みが出た時は、強烈で生きるか
死ぬかの瀬戸際だなんて恐ろしいことだ。それに引き換え、内膜症や腺筋症は最初
の頃から、思いっきり痛みが出て、次第に増すばかりだ。もっとも、内膜症や腺筋症
がひどくても全く痛みを感じない人たちもいる。子宮に異常があるのを知らせてくれ
るのはありがたいが、痛みがずっと続くのはやるせない。痛みで動けない。生活の
質が低下する。

 高血圧も糖尿病もがんも知らない間に病気が進行していまう。そして、症状が出た
時は、既に死の直前まで行っているという点で、サイレント・キラーといえる。病院へ
何故行くのかと考えてみれば、そのきっかけは痛みだということが゜大半だろう。
地球物理学者のスティーブン・ホーキング氏がALS(筋萎縮性側索硬化症)だと
分った時、自分は段々と筋力が衰えていて歩くことが難しくなっている。だが、痛み
はない。同室の白血病で悩み苦痛に耐えている少年を見て、自分はまだまだ痛みが
ない分幸せだと感じたと著書に書いてある。動けなくなることもつらいが、痛みが
続いたまま、それほど時間を待たずに死を迎える若い命に同情を禁じえなかったのだ
ろう。

 全身の血管の長さは、地球をふた周りと半周するほどだという。約10万キロメートル。
血管は、糖尿病や高血圧の人の場合は別として、何故か太い血管から詰まってくるもの
らしい。血管は、75%まで詰まるまでは無症状だという。血流にも問題はないという。
だから、今まで何でもなかったのに、ある日突然病気になったように感じる。だが、実際
は、その病気は産まれた時から少しずつ進行しているものなのだ。

 と、ここまで考えてみて、腺筋症はどうなのだろうかとふと思った。腺筋症も思春期
まではサイレントで、ある時点から突如して病気が出てきたように思うだけなのかも
知れない。原爆後に広島や長崎に入った人たちが後にがんを発症しているのは、被爆
した細胞だけではなく、その細胞が出す信号を受け止めた細胞群をも同じように影響
を受けて遺伝子異常が起こるからだと分ってきたという。腺筋症の細胞もこれと同じ
ように、一つの細胞だけが子宮内膜から筋層へ侵入して散らばるのではなく、一つの
細胞の異常が他の細胞にも伝わり、加速度的に悪化しているのかも知れない。

 痛みは大切な体の警告だ。しかし、腺筋症の場合は、必要以上にしつこ過ぎるなぁ。


 Windowsなんか大嫌いだぁ。OSのアップバージョンは使えない? 

 ホームページ見たまんま印刷というアプリケーションを4000円弱で家電量販店で
購入した。HPのページを印刷すると自分の持つイメージとかなり異なったり、邪魔な
部分があったり、印刷して欲しいところが印刷されなかったり、枠をはみ出して字が
途中で切れたり、と不満だらけだった。

 新聞で色々なアプリケーションソフトを使えば、こんな便利なことができますよ、
という記事を見て、これはいいと早速購入を決めた。家電量販店に出向き、ソフト
を発見した。持ってみると異常に軽い。動かすとカタカタとCD−ROMが一枚だけ
入っているだけだと分った。いくら簡単だと言っても、説明書くらいは欲しい。
しかし、今はADSL回線か光ファイバーかCATVでの常時接続が当たり前だから
分らない場合は、インストール後にインターネットに接続して調べろということ
のようだ。今時の人でない私は、例えデジタル時代であっても説明書が欲しい
タイプだ。

 これで少し不安を覚えながらも、適応OSがWindows98SEとXPであること
を確認してからレジへ持って行った。自宅に戻り、早速、OSがWindows98SEの
ノートパソコンにインストールした。IE6.0バージョン以外は不可とある。二時間かけ
て6.0にバージョンアップしてあるので大丈夫だ。インストールはあっけなくできた。
簡単な一枚の紙が、インストールする時の説明書だ。この説明書に書かれている
アンコンが出て来ない。アイコンが出て来ない時は、IEの表示をクリックして項目を
追加して表示させろとある。で、IEを開いて早速表示させた。これでやれやれと
一息ついた。で、再起動し、見た目そのまんまに本当に印刷ができるのかどうか試
そうとしたら・・・・何とIEが表示できなくなっていた。これでは元も子もない。

 いつもインターネットに利用しているのは、ノートパソコンだ。このノートは、元々
のOSがWindows98なのを98SEへバージョンアップして使っている。98から
98SEにするとプリンターやスキャナーが使えなくなる。USBで接続するタイプの
最近のプリンターは使える。98からXPにバージョンアップした時は、プリンターも
スキャナーも使える。だが、CPUの容量が小さいノートはハングアップしてしまい、
使えない。

 98から98SEにしているのは、外付けのCD−RやDVD−Rを使いたいからだ。
フロッピーだけでは収まらない容量のファイルが多いからだ。画像など取り込んだら
すぐにフロッピーディスクの容量を超えてしまう。本当は、98でサクサクと行きたい
のだが、予備のデスクトップのパソコン(こちらのOSはXP)にUSBメモリーフラッシュ
で情報を移して、それをCD−Rに記録することが多い。それではと、ノートでおかし
くなってしまったIEを修復してやっとブラウザが使えるようにした後、XPのデスク
トップならば大丈夫だろうとインストールしてみた。

 ところが、こちらも問題あり。スキャナーが使えなった。スキャナーに必要なファイル
を削除してしまったらしい。必要なフアイルをインストールし直した。これでようやく
スキャナーが使えるようになった。このスキャナーは、98のノートパソコンに合わせて
買ったもので、動かすソフトは98用だ。その98用をXPにインターネットに接続
してバージョンアップものだ。

Windowsは、OSを98、98SE、ME、2000、XPところころと変えている。
その一方で、その変化に伴った対応をしているとは言いがたい。パソコンのOS
に合わせて作る附属の電化製品も、バージョンアップの度にそれに対応してく
れているかというとそうでもない。どうにも使い勝手がよろしくない。Macの
方は体験したことがないので分らないが、Macも同じようなものではないだろ
うか。

 肝心のホームページ見たまんま印刷は、使ってはみたものの、自分が期待して
いたものとは違っていた。正直なところ、金返せ状態だ。これで説明書一冊が
曲りなりにでも箱に入っていたら、少しは納得できたように思う。やっぱり私は
アナログ派だ。

 猫の健康 

 小部屋仲間ではないが、同じ腺筋症仲間の飼い猫みーこが死んだ。享年16歳。
彼女は、三年ほど前からみーこの体調が良くなくて動物病院へよく通っていた。
みーこの治療にかかったお金は、数十万円ではなく数百万円だったという。みーこ
は彼女の具合が悪い時は、添い寝をしてくれて心強かったという。彼女は既婚者だが
旦那様よりもある意味では心が通じていたという。

 動物病院へ行くと猫のみーこには「様」がついているが、自分の名前には「様」が
ついていない。さすがにこころは動物病院だ、猫の方が飼い主よりもエライのね、
と言っていた。別にどうでもいいんだけれど、動物病院の患者様は彼女ではなく
みーこ様だものねぇ。でも、お金は、その付き添いの人間が払うんですけれど。(笑)

 元々、それほど体が丈夫ではなかったという、みーこが16歳まで生きられたのは
彼女の献身的な看護があったからだと思う。食べ物にも気を遣っていた。自分の
健康と共に愛猫の健康も一緒に考えていた。16年もの時間を共に生きていた
みーこと彼女。当分、うつの状態が続きそうだ。

 内膜症や筋腫や腺筋症持ちは、犬よりも猫好きが圧倒的に多いのかと思っていた
が、小部屋アンケートで調べてみると、そうではなかった。犬好きと猫好きが同数だ
けいるようだ。婦人病は猫好きが多いと思ったのは、自分が猫好きだったからのようだ。

 日本人の寿命は女性は世界一、男性は世界で五位だったようだが、日本の猫の
寿命も相当延びてきているのではないだろうか。世界でも一・ニ位なのではない
たろうか。以前、我が家で飼っていた猫のうち長生きした猫は、それぞれ15年と
20年と23年生きた。20年と23年生きた猫は親子(共にメス猫)だったから、
猫にも長生き遺伝子というものがあるように思う。また、猫もオスよりもメスが
長生きのようだ。オスは、よくケンカしたまま道路に出てしまい、車に轢かれて
しまったり、ケカンの傷が元で敗血症となって命を落としている。

 人間の男は、オス猫よりは理性と判断力があるから、猫よりも寿命に男女差は
ないと思うが、無駄な勢力争いが好きで体力を消耗している点は変わらないなと
も思う。猫は可愛いけれど、50歳も近くなってくると猫との別れを考えるとつら
くなってしまう。本当は、猫が一匹家庭にいてくれるだけで心が癒されるのですが
・・・・。

  我が家にみけがやって来た! 

 10月2日、隣町に住む町で餌をやっていた野良猫を飼ってくれないかと頼まれた。
北海道の冬では、野良猫は生きていくのは困難だ。雪が降る前に野良猫から家猫に
ならなければ生きていけない。丁度、父が入院中で看病もしていたけれど預かること
にした。偶然にも以前飼っていた猫と同じ三毛猫だった。名前はみけ。このエッセーとの
題名と同じだ。可愛がってくれている近所の人や小学生たちから、みけと呼ばれていた
ようだ。三毛猫だからみけ。分りやすい名前だ。以前飼っていた三毛猫は、小さい時に
特別に耳が大きかったのでタンボという名前だった。みけは、ダンボと違いとても体が
大きくて、メスとは思えないほどに前足も後足も太くて長い。

 ダンボは寒がりやさんで、あんかを抱いて離さなかった。が、みけは寒いところに
いても平気だ。だが、ペット用の電子あんかの上でいつも寝ている。野良猫時代に
棒で叩かれたのだろう。背中やあばら骨を触ると嫌がる。よく泣く猫なので猫が嫌い
な人は、石を投げたり棒で叩いたりされたのだろう。餌も人から貰っている分では足ら
ず痩せていた。それが我が家にやって来てからキャットフードを好きなだけ食べて1ヵ月で
三キロも増えた。今は堂々たる体格だ。最初来た時は、まだ私や父がどんな人間なのか
分らず、あちこち逃げ回っていた。1ヵ月が経ち、ようやく人間たちが敵ではないと分り、
本来の猫としてものんびりとした性格が戻ってきた。

 父は、以前飼っていた猫のダンボが死んでしまった後、とても寂しそうだった。その上
に体を動かすことが好きだった。それなのに、椎間板ヘルニアになったのり、腹部大動脈
瘤の手術を受けたりして家でおとなしくしていないといけないことでストレスがたまって
いた。みけには、とても気の毒なことだが、そんなストレス解消に、みけに干渉し始めた。
みけは、冬を前に食べ物と住むところを保証されたが、父もみけに干渉することによって
元気を取り戻したようだ。みけは、扶養親族ではないけれど今では、立派な扶養家族だ。

 ペットを飼うのは、手間もかかるが心に潤いを与えてくれる。但し、喘息の気がある私は
時々、猫の毛で息が苦しくなるのが難だ。


  いじめ問題  

 いじめで死ぬ中学生や高校、時には小学生のニュースが連日のように報道されている。
最近は、文部科学省に自殺予告をする子供をきっかけに自殺をする前に予告する手紙を
出すことがはやりだしている。いじめ報道で気になるのは、マスコミは新聞もテレビも
学校や教師を厳しく追及するが、いじめをして死に追いやった子供たちを責めないことだ。
一番悪いのは、いじめがあることに気が付かないでいた学校や教師にも勿論責任の一端
はあるに違いない。だが、一番の悪は、自殺をするようないじめをした子供たちに決まり
きっている。ひらがなで、”いじめ”なんていかにもちょっとしたことのように表現している
が、犯罪に他ならない。あと、幼い子供、特に女の子に対して行われる”いたずら”も気に
なる。ひらがなで表現しているが、性犯罪に他ならない。それをちょっとしたいたずらと同一
に表現していて平気な国って、おかしいと思う。

 少年や精神障害者が犯罪を犯した時もマスコミの対処の仕方は変だ。普通の大人が
犯した犯罪は、その本人が悪いとされて徹底的に叩く。その一方で、少年となると社会が
悪い、学校が悪い、その少年は現代の社会の犠牲者だ、みたいな論調が続く。そして、
このような事件は例外で少年の更正を望む。まだ若いから十分に更正できるというのだ。
また、精神障害者の場合は、病気なのだから仕方がない。病院側がまだきちんと治らない
うちに社会復帰させたからこういう事件が起きてしまったのだ。周りにきちんとケアして
くれる人がいれば、こんな事件は防げたばずだ。被害者は気の毒ですね。という具合で
いつも同じような論調で終わってしまう。

 いじめで人が死ぬ。なのに、教師が悪い。学校が悪い。と言っていて一体何になるのだろ
うか。文部科学省の役人が考える教育制度なんて現実軽視もいいところだ。義務教育で
学ばないといけない科目や時間さえも削って、何がゆとり教育だ、のびのび教育だと思う。
義務教育とは、今の日本人が人間として社会で生活をするために、必要最低限に学ばなけ
ればならないことを教えるもののはずだ。良い高校や大学へ進学するための予備校ではない
はずだ。高校は、義務教育ではないが、今は義務教育と言ってもいいほどの進学率となって
いる。良い大学に入るためには、受験科目以外の科目や学校行事は学ぶだけ無駄だと思っ
ているのは、学校側よりもむしろ生徒の親や生徒ではないだろうか。学校は、道徳の時間
など社会で見に付ける基本的な教育をしたいと思っている。しかし、生徒やその親は良い
大学に入ることを第一としている。

 お金があっても給食費は義務教育だから支払わなくてもいいと言い払わない。他の人
が払った給食費で子供が食べていても何とも思わない。自分たちは、好き勝手なことを
していて非常識なことをしていながら、学校には完全なる教育と責任を追及する親が
多すぎます。マスコミも親や生徒に迎合する。もういい加減に真実を見つめてもいいと
思う。

 教育を駄目にしているのは、文部科学省の現実的ではない机上の空論の教育論から
生み出された教育指導と自分に甘く他人に厳しい親と生徒、そんな国や親や生徒の
問題を問わないマスコミの姿勢だと思う。マスコミはホリエモンが調子がいい時は時代の
寵児だと褒めちぎる。そして一転、脱税が発覚すると掌を返したように叩き始める。
国が共謀罪を論議すれば、マスコミ統制に繋がると危機感を強める。しかし、マスコミが
取り上げる問題やそれに関する議論はひどい偏向をしている。そしてそれに危機感など
みじんも感じてはいないように見える。いじめに関しても同じように偏向報道をしている。
新聞各誌もテレビ局各局その姿は、まるで報道統制されているかのように論調がよく似
ているだ。

 いじめで自殺をした子供をいじめていた加害者である子供たちが何の制裁も受けず
反省もせず、のうのうと生きていける社会はおかしい。いじめていた子もいついじめられ
る側にるか分らない。テレビや新聞に出てくるえらい人は、子供は教育次第で教師の指導
次第でいじめは防げるというけれど、だったら自分で学級崩壊している小学生のクラスを
改善してみて欲しい。いじめに遭った子が学校へ行けなくなるのではなく、いじめた子供
こそ学校へ行けなくなるようにして欲しいものだ。いじめた子供にも教育を受ける権利が
あると親は言うかも知れないが、いじめをするような奴には教育を受ける基本的な姿勢が
できていない。まずそのことができるような教育が必要だ。

 いじめを受けて学校へ行きづらくなった時に、通信教育とスクーリングで勉強を続けら
れる「いじめ対策の通信小学校と中学校」があればいいなぁと中学生の時、私は思った。


  治療よりも予防が大事なのに 

 何事も治療よりも予防だと思う。北海道瀬棚町の医師がせたな町の合併により辞任
した。合併で新せたな町長となった人が、合併前の瀬棚町の医療レベルに他の二つの町
を合わせるとお金がかかると言う。それで、合併前の町や村の最低レベルの医療サービス
に合わせることに決定したという。それに異議を唱えた瀬棚町の医師が新しい町長と
対立して辞任することとなった。この新せたな町長のように目先のお金を問題とする人
が多い。

 治療よりも予防に転じているのが歯医者だと思う。歯医者は小さな田舎町にも沢山
出来て患者はとても便利になった。この歯医者が良くないと思えば、別の歯医者へと
足を運ぶこともできるようになった。昔は、歯が痛くなっても患者が多いが、その割に
歯医者は数少なくて、なかなか順番がやって来ない。歯が悪くなったと思って通い始めて
も一本の歯を治療するのに物凄く時間がかかった。歯医者の態度は悪くて、治療して
やっている風だった。それが歯医者の数が増えて、あちこちに歯科医院が出来てくる
とすぐに治療を受けられるようになった。昔のように歯医者へ行くと時間がかかるので
歯が悪くても我慢する必要もなくなった。

 虫歯の予防についての情報もなく、とにかく歯が痛くなってから歯医者へ行き、治療
を繰り返す。虫歯はどうすれば防げるか。40歳過ぎてから大きな問題となる歯周病は
どうしたらかからずに済むか。歯石を取ることなど治療よりも予防に歯医者が力を入れ
始めたのは、ここ10年くらいではないだろうか。虫歯と歯周病の予防には正しい歯ブラシ
の使い方を学ぶことが大切だ。そして定期的に歯石や歯の着色を取り除き、歯と歯茎の
検査を受けることだ。歯に神経を遣っていなかった過去を反省し、ここ3年ほど前からは
歯と歯茎の健康に心がけて口腔衛生に精を出している。

 歯医者の教訓から学べば、医者がどんどん増えていき、田舎町にも病院や医者が溢れて
くれば、患者が良い医者を選べるようになるだろうし、治療よりも予防が大切となること
だろう。患者にも、もっと病気は発症してから慌てることがないようにと自ら学べる機会
も増えてくるだろう。何千万円を払ってもなかなか医者がやって来ない現状では、それは
望めない。産婦人科医が少ない。産科医が少ない。だからと言って腕が悪ったり口が悪い
医者としてというよりも人間として問題があるような医者でもいないよりはマシだと耐え
なければならないなんて悲しくなってしまう。

 医師会も厚生労働省も医者の立場には配慮はしても患者本位に考えているとは思えない。
医者の数は増やせない。医学部の定員を増やせ質が低下する。今でも解剖する死体が
少なく、教育するのが難しいと言う。今の2倍や3倍に医者の数が増えたとしても別に
質が低下するとは私には思えない。看護師だって助産師だって慢性的に足りないと
言いつつ、増やさない。需要と供給のバランスから考えて足りないのだったら供給を増や
せばいいと思う。大体医学部って六年間も必要なんだろうか。一生懸命に勉強すれば、
四年間で医者として十分にやっていけるのではないだろうか。最近は、看護師も獣医も
薬剤師も医学部が六年間だからとそれに合わせて六年にしたりしようとしているようだ。

 覚える情報量が増えてきているので六年間でもまだ不十分だと言う。それが四年で
あったら何か問題なのだろうか。看護師や医者の養成にはお金もかかるし施設がいる
という。しかし、生きた勉強の場である病院は全国各地に沢山ある。四年間勉強を
して、早くから臨床体験の場に出て学ぶ方が一般教養を学ぶよりも役に立つと思う。
六年かけずに四年で教育が済めば、今のままの医学部の定員であっても医者の数は
増えていく。それで何か問題があるのだろうか。アメリカの医療は資本主義で成り立っ
ている。しかし、日本では社会資源である。つまり、警察や消防や教員と同じように
田舎であっても人間の社会が成り立つためには必要とされている職業だ。社会資源で
あれば、必要な場所に必要な仕事を配置するのが当然だと思う。それなのに、医者は
その社会要請には一切答える必要はないとするのはおかしいのではないか。

 医者になるためには、国立や公立たけではなく私立においても国から大きな補助金
が出ている。その補助金は国民が支払っている。それなのに、医者は自由に自分の好き
な科を選ぶことができる。今、日本の医療にはどんな科が必要かなどということは
配慮しなくてもいいという。医者の圧力団体の日本医師会も国民の健康よりも自分た
ち開業医の利益を守ることの方が大切なようだ。厚生労働省も国民の命よりも自分た
ちの生活と退職後の生活が大切なようだ。

 予防は治療に比べると成果が見えにくい。予防にかけるお金は将来に起きる病気を
未然に防ぐ。しかし、病気治療にかける方が成果が目に見える分だけ説得力がある。
治療よりも予防の医学が実践されるようになれば、病気になった時に何も知らなかっ
たと慌てることが少なくなると思う。患者もいつまでも医療に対して受け身であって
はいけないと思う。おおかにでも知っているだけでも、病気だと言われた後が違うと
思う。

  女として生まれてきたからには  

 婦人病の自助グループでは、病気の治療よりも、いかに妊娠し出産ができるかという
ことが問題となっている。女として生まれてきたからには、結婚をして妊娠をし、子供
を持つのが当たり前と考えられている。社会が考えるだけではなく、女性自身がそう
思い込んでいるようだ。私の場合はと言えば、子供の頃から漠然と結婚はできそうも
ないなぁと感じていた。だから、妊娠・出産まで考えが進むことはなかった。ところが
同じ環境で育ったはずの姉は、子供の頃から女として生まれてきたからには、素敵な
恋愛をして結婚をして子供を持つのは当たり前たと思っていたそうだ。

 自助グループが発行する機関誌を読むと相反する筋腫や内膜症の治療と不妊治療
の間に揺れ動く人たちの手記が掲載されている。その中に出てくるのが、女として
生まれてきたからには、わが胸に自分の子供を抱いてみたいと思ったという言葉だ。
私には、それはないなぁ。自分の血が繋がった子供なんて気色が悪いと思ってしまう
方だ。自分が生きるのに手一杯で、自分が別の人間を産むなんて、そんな大それた
ことは、とてもじゃないが考えただけで頭が痛くなる。姉に言わせると頭を悩ませる
必要は全くなく、好きな人がいれば自然とできるものらしいのだが。その一歩が私の
場合は難しい。第一、猫的性格の私を好きだと思ってくれる異性がいて、しかも、その
相手が私のことを好きだと思ってくれないといけないのだ。そんなことは永久にあり
得ないと思う。ところが周りはそれなりの年齢になると次々と結婚していくのだから
本当に不思議だった。今も何故結婚できるのか不思議だ。

 女として生まれてきて子宮の病気で苦しんでいる以外に何か意識するようなことは
あるだろうかと考えてみたが、別にない。女であれば子供を産み育てるくらいしか
男に生まれた時との大きな違いはない気がする。こんな考え私は男として生まれて
きた方がきっと生きやすかっただろうと思う。体はあんまり丈夫じゃないかも知れない
けれど一つの臓器にこれほど支配された生活はしていないだろう。

 女として生まれたからにはと思える生き方をしている姉は二人の娘に囲まれて
忙しいが充実した生活を送っているようだ。妊娠・出産そして子育てにと苦労した
分、これから先はどんどん利子がついてくるのだろうなぁ。若い頃は優雅な(私は
そうじゃなかったけれど)独身生活を謳歌しているように見られていても、女として
はDNAとして大失敗だったんじゃないかなぁ。でも、後悔はしていないなぁ。やっぱり
私は孤独が好きなんだと思う。48歳、これからは女としてよりも人としてどう生き
ていくかを考えて行動していきたい。

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